概要 ページの先頭へ |
学級が崩壊しているといわれます。東京都では、4分の1の学校で、正常な授業を成立できないでいるという学級崩壊をしているクラスがあるそうです。この問題の根はどこにあるのか、解決策は何かを探ります。
一般的な人の意見 ページの先頭へ |
大きく分けると学校犯人説と家庭犯人説に分けられます。
課題 ページの先頭へ |
学級崩壊の問題は、
学級崩壊の現象は、最近のものではないこと
一度学級崩壊をしたクラスを立てなおすのが容易でないこと
学校犯人説、家庭犯人説の二元論では問題が解決しないこと
小人数学級でも問題が起こること
などがあります。
親や保護者の傾向 ページの先頭へ |
自分の子供が学級崩壊の一翼を担っていても「まさかうちの子が」などと信じず、学校のことだからと学校のせいにする傾向があります。
教師の意見 ページの先頭へ |
学校は勉強を教える所である今の親は、「子の親ありてこの子あり」という感じであるなど、家庭のせいにする傾向があります。
実際はどうなのか ページの先頭へ |
学級崩壊は、学級が社会を形成できないでいる状況に、「コワシヤ」の児童が、引きがねを引くことで起こる事例がほとんどです。コワシヤの引き金は、外弁慶の増加でしょうが、それも、学級が社会を形成していれば、学級崩壊は起こりません。そこで、なぜ、学級が社会を形成できないでいるのかに焦点を当てて探ってみます。
まず、子供は環境で変わるのですから、年齢順に原因を追ってみましょう。子供が生まれたとき、その子供は、母親と子供の関係(=社会)を持っています。しかし、その社会は特殊なもので、一般社会には、通じない事も沢存在するのです。その閉鎖的な社会にある意味で風穴を空ける、つまり、実際の社会へのステップとなりうる存在であるはずの父親が一般的にはその役割を十分果たせず、そのままで集団行動をできるまでには社会が形成されていない。
少子化の影響で、兄弟が少なく、兄弟喧嘩による「相手への痛み」の配慮が欠けています。習い事や幼稚園、保育所などでは、学校とは違い、集団行動を強制することが少なく、集団行動をする学校とのギャップが大きい子供が人に迷惑をかけたときに、親が叱らない、では、周りの大人はというと、これまた叱らない。そのために、自分を絶対的に思い、他人のことを考えられない。
提案 ページの先頭へ |
まず、学校で起こったことであるという視点から、学校を見ていきます。「開けた学校」といいますが、今の学校は、閉鎖的な社会です。最近は、学校で起こった事件も報道されるようになりましたが、校内暴力などは、プライバシーや、少年法、今後の少年の成長などを勘案してほとんど公開されていません。別に、だからといって「吊るし上げろ」というわけではありません。つまり、今の学校の閉鎖的社会は異常だといいたいわけです。
まず、学校社会の構成要素である学級を見ます。学級は、前にも上げたとおり、それぞれの学級が独自な社会を形成しています。「クラス換えをして、別のクラスになってめっきり遊ばなくなった」このような実感は、このことを示しているのです。特に、この傾向は、一人の先生が一つのクラスのほとんど全ての授業を受け持つ小学校でも多く、そのことが小学校で学級崩壊が起こる原因の一つにもなっています。
まず、最低でも4人、つまり、一つの学年の担任の先生数以上の先生に授業を受け持ってもらいます。多くの先生と触れ合うことで、様々な人間関係、社会が生まれ、それが社会の多様性を生み、閉鎖性空の脱却の糸口となります。特に、先生のほとんどは、他の先生の助けを借りることを最終手段だと思い、隠すので、たくさんの先生が見ることで、客観的な評価による早期発見にもつながるでしょう。チームティーチングも必要です。教師同士の横のつながりが大切になります。
最終的には、自分の興味、習熟度に合わせた授業や、単一の年齢層ではない授業をするために、多くの選択肢を作り、例えば、3年生なら得意の算数は、4年生と一緒に勉強し、苦手な国語は2年生と一緒に勉強したり、好きな社会は、実習を主にしたクラスで勉強するなどの先生や親と相談しながら自分で学習方法を決めることができるシステムの形成が必要でしょう。つまり、自分で決めることで自分で決めたのだからやるという意味合いができ、多くの人間関係を生むことで、多様な社会ができるという利点があります。もちろん、子供が能動的、積極的に授業を受けられる体験学習、総合的な学習の時間も重要です。
次に、学校と社会の関係では、前述の通り地域のなかにある孤城のような学校は、地域とのつながりを絶ってしまっています。これを防ぐには、学校開放が必要でしょう。例えば、学校を土曜日、日曜日に開放し、父兄が、監督するようにします。イベントを行うことも必要でしょう。それに、学校に、地域の人が自由に参観できるようにして、自分の子供の授業だけではなく、この学校の校風、授業風景も公開するようにします。学校の中に地域が入り込むことによって、地域との連携により、問題の早期発見や、家庭生活との関わり、そして地域の人が叱りやすくなるメリットがあります。
そして、学校開放で忘れてはいけないのは、(家庭)→幼稚園→小学校→中学校→高校→大学→(大学院)→社会へと続くこの「→」部分つまり、連結部分の連携です。家庭は、学校にまかせっきりになり、幼稚園は、小学校にまかせ、小学校は中学校...
と、間のつながりが希薄になることで、問題を早期発見できないだけではなく、「自分の所にいる間だけ問題が起こらなければ良い」という姿勢にもつながります。学級崩壊を防ぐには、幼稚園の保育士をチームティーチングに呼んだり、逆に小学校の先生などが幼稚園に視察や、研修に行くなど、教育システムの内部の連携も重要になります。
次に、家庭の問題があります。家庭で躾ができないで、学校に躾を任せ、問題が起こると学校のせいにする親は、親ではありません。まず、自分は、一人で生きているのではないと子供に認識させ、他者の関係のうちで生きているという社会の意義そして、他人を大切にする事の意義を教える必要があります。子供を持つという意味では親となるのは簡単です、しかし、子供を大人に育て上げるという意味で親となるのは自分が自分の子供に望む姿よりも自分がまともでなければ難しいことです。昔から「子の親ありてこの子あり」といわれてきましたが、親自身がしっかりとした人間関係を持たなければ子供の見本となることはむりで、子供に期待することは不可能でしょう。そして、授業を受ける態度を着けるために、話を聞いてもらうという事の重要性、楽しさを子供の話を聞く事で実感させる必要があります。
最後に、地域社会ですが、親同士の人間関係が充実しなければ手本にななれません。そして、よく言われていることですが、見知らぬ大人が叱るということで、無数の目が子供を温かく見守る社会でなければ、子供は育たないでしょう。自分と人、自分と物、どちらでも、自分との関係を大切にする子供を育てる、これが学級崩壊を予防する手段です。
学級崩壊が起こってしまったら ページの先頭へ |
学級崩壊というのは、授業ができない状態ですが、ずっと授業ができない状態であれば、すぐにそれとわかるものの、波がある場合もあります。そこで、他者に客観的に見てもらい、根治が必要か、それとも単に休み前後に起こりがちな情緒不安定なのかを判断してもらいます。
根治が必要となれば、先生一人では無理なので、同学年の先生の協力や、副担任制、そして、チームティーチングと、人数を増やし
生徒に先生の信頼を回復する事で、生徒の怒りを先生に向けさせない
最終的には怒りをなくす
という2段階をへます。
つまり、問題を望まない子供も、がみがみいう先生に怒りを向け、結果的に賛同することが多いので、問題を望むこと望まない子を分離させ、その上で問題を望む子を直すわけです。
具体的な方法としては、学年途中でのクラス換えや、班の再編成、話を聞くなどがあります。学級崩壊で、困るのは先生、生徒の両方です。先生が病気になったりやめるきっかけとしては、親の反発が大きな要因となります。親の理解を取ると同時に生徒との信頼を回復する事で、学級崩壊を乗り越えて人間的に成長する事が、問題解決の手段となります。
参考ホームページ、その他 |
Yohei Sasaki様「学級崩壊」
Niitsu's Web Site...
<http://www.cityfujisawa.ne.jp/~niitsu/shonan/series/houkai/>
1999(2000年12月)