Q;失敗すればするほど、自分に跳ね返ってくると。
A;北海道大学の柴田先生って方が、北海道から出てきて美術学校に入った頃、先生が「佐藤君ね、学校出たら5年間頑張ってごらんね」と言ったんです。「私は学生を扱っててよくわかるけど、出てから5年間頑張った人間とそうでない人間との差がぐーっと出てくる」っていうんです。私も教える側になってみて、その言葉がよくわかりますね。
大学入ってきて1年生を見ると、「なかなか感覚のいい子だな。あれは伸びるよ」なんていってると、案外そういう気の利いたのっていうのは、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろして、さっぱり芽が出ないのが割合多いんですよね。なんでもないような、一生懸命コツコツ、コツコツやる奴にはかなわないっていうのが、ぼくははっきり言えるような気がするんです。その先生が言ったことが耳に残っていたんでしょうね……もちろん、それだから頑張ったのじゃないかもかもしれませんが。
それから朝倉先生なんかは、教室でこぼれた粘土を学生たちが踏みつけて煎餅みたいになってるのを見ると、「これのおかげで彫刻になるんだよなあ」なんていって粘土入れに入れたりね。それから「一日土をいじらざれば一日の退歩だよ」っておっしゃってた……そういうのは忘れないですよ。だから学生には言うんです。そういう機会はあまりないかもしれないが、一流の人に雑談していただけ、とね。その人は何気なく言うかもしれないが、その人の長い間の失敗の人生の中で、ふっと言葉になったんだろうけど、その時は気づかないかもしれないけれど、やがて自分が失敗して切ない思いをしたりしてると、「ああ、このことだったんだな」と思うことがきっとあるはずだ、と。失敗のキャリアが、そういう言葉になって出てくるはずですから。 |
Q;時間を経て、失敗をたくさんすればするほど、見る眼そのものはどんどん上がっていきますか?
A;ええ、見分ける眼っていうのはね……じゃ、それに自分はくっついていってるかというとね……私の場合はですよ。ご承知のように私のは受けのいいほうなんですよ、わかりやすい彫刻でね。受けるように造るのは戒めなくちゃいけないと思いながら、若い頃は受けたいと思ってはいるんだけれど、でも、どもりながらものを喋っているような、そんな彫刻になっていたんでしょうね。
60年も70年もやってるとね、手が手慣れてきてね、表現を造っちゃって。やめろって自分に言い聞かせながら、ちゃんと造ってるんですよ。言葉でもそうですよ、きっと。慣れて、美しくきれい事に型を造っちゃうように、なってしまうんですね。それぐらいわかってるんならやめりゃいいんですが、身に付いたものってのは、なかなか抜けないですよ。よく「初心に返らなくちゃ」っていいますけれども、本当に初心に返れる人がいたら、ほんとに偉い人だと思う、ぼくは。言葉じゃ言えますけどね、ほんっとに難しいことだと思うな。あなたちを引きずりこんではいけないでしょうけども、年齢なりに、相当恰好のいいことをいってるはずですよ。気をつけてると思いながらね。
どうしても人間って、そういう弱さがあると思うんですよ。それとの闘いなんですよ、我々はね。逆に「おれは違う」って人がいたら、大したもんですよ。切ない思いをして闘ってるんですよ。
役者でもスポーツマンでもコマーシャルに出てるのを見ると、「やめろ」って言いたくなるの。金があったほうがいいには違いないけど、人間って弱いですよ。役者が演出家に「やり直し! あしたまた稽古!」なんていわれて、1億円になったり5千万になったりしてね。本人にいわせりゃ、「これはこれ、それはそれ。別なんだ」というかもしれんが、そんなに人間強いもんじゃないですよ。あいつら40歳50歳になったときに人生渡れるかなって、ひとごとながら心配になってきますよ。貯金しちゃえばいいかもしれんけれど、貯金だけで人生いけるものじゃないからね。話し合える、打ち明けあえる人間になれるかということだね。 |
Q;創作において、余分なものがあると思うんですが、先生において余分なものって何でしょうか。
Q;創作に限らず、余分なものはありますけれどね。芸術家ばかりじゃなくて、人生の闘いにおいて、誰にでもあるものですけど……難しいところですね。
民芸の滝沢さんって人がいますけど、たしか30代ぐらいで石狩川っていう芝居だったと思うけど、開拓に行った侍だったんですね。囲炉裏に座ってて、滝沢さんが立ち上がったんですよ。それがまるで能を見てるようでね。「ああ、ぼくもこういう彫刻家になりたいな」と思ったですよ。そのことは書いたり言ったりしましたけれど。なんかね、余分なものを剥ぎとったっていうか。ただ立ち上がりゃいいだけの話なんですがね、それだけで、あの広い空間をバーンと抑えちゃったんですよね。能だってあれ、人間の日常生活の要らないものを押しのけていって、要素だけを残したものが能みたいな踊りとなって残ってるんじゃないかと思うんです。
お茶でもお花でもそうでしょうが、出来上がった格好だけを真似ると、こうなっちゃう。そこが難しいところなんでしょうけどね。余分なものを身に付けて、恥じかいて、こりゃ要らないもんだったなと思ったところで、様式性ができてくるんじゃないかと思うんですが。我々ものつくる人間からすれば、そこがとっても難しいところですよね。
おしゃべりして、どうしてもこう、受けを狙ってしまう……そうじゃない人もいるかもしれないけれども。人の作品を見てても、「ああ、ここまで落ちてきたかな」と、自分の姿見てるような感じがするものってすごく多いですよ。 |
Q;ご自分を芸術家といわずに、職人とおっしゃるのは、そういう意味もあるんですか?
A;わざと言ってるところもあるかもしれないけれども、例えば彫刻なら彫刻の学生を見てても、職人としての訓練がだんだんなくなってきてる。教える先生も、そうじゃない人が教えるようになってきてるからね。
ぼくはジャイアンツ・ファンだけど、王さんを応援してるんですよね。ジャイアンツの選手の名前はみんな知ってるんだけど、王さんのところの選手は全然知らないの。王さんにあった瞬間に「いい顔だな」と思ったから、王さんを騙して「記録をつくった男の顔」を造らしてもらったんですけどもね。それを頼まれたんですよ、世界記録つくったときに。本当はそういうの嫌いだから。でもやむを得ないところから頼まれて、嫌っていえなくてね……でもここへ来てもらって会った瞬間、本当に叩き上げた男の顔って感じがしたんだよね。長島さんって、ぼくはだめなんですよ。
王さんは職人の気持ちを知ってるんですよ。失敗のうえに足踏まえて、恥じかいてやり直した監督、って感じがするんですよね。コツコツと育てた選手……もちろんよそから買ってきた選手もいるかもしれませんがね……をうまく使って、という感じがする。ジャイアンツは金で買ってきたやつばっかりだから、だめですよ。ぼくはそういう感じがするんだなあ、職人が仕込んだ選手っていうのか、使い方でもね。
王さんをこのぐらいの大きさにするためには、形象化して造るためには、ぼくの中へすっかり飲み込ませて、これを単純化させなければいいものはできないと思ってね。お願いしますって言って、ここへ2〜3回訪ねてくれたんですよ。 |
Q;そういうものは、見えるものですか。
A;見えるかどうかは知らないけれど、ぼくはそう思ったんですよ。王さんを騙してね。王さんのがっかりした顔とか、ヒットを打ってにっこりする顔だとか、全部造って……でもやっぱり自分の眼でしっかり対決してやらないとね、本当の顔にはならないです。ただ顔を造るならデスマスクにすればいいんですが、それじゃ駄目だから。ある程度造っておいて……自分の作品をあんなものって言われたら「すみません」っていうしかないんだけれども。
粘土の中に文学や音楽があって。1ページから300ページまで書けば王貞治のことは書けるわけだけれど、粘土に文学や音楽に負けないだけのことを語らせようと思えば、過去と現在と、おこがましくも未来までも語らせようとするから、無い皺をここに入れてみたりね。それで割合うまくいったほうだと思ってるんですがね。時間性を足せなきゃいけないわけで、そこが難しいところなんですよねえ。「いまのお話を聞いて、少しだけ見る眼が変わりました。」(インタビュアー)、言われてよく見えるんじゃいけませんよ。 |
Q;宮城県美術館の佐藤忠良記念館に、《二歳》という子どもの彫刻がありますね。
A;ぼくは出す気はなかったんですよ、あのおちんちんのやつね。さっき話したように初めてヨーロッパへいったときに彫刻があってね。おちんちんがついてたんだけど、わいせつな感じじゃないんですよね。よし、おれもおちんちん造ってやろうと思ってやったんですが、なんとなくうまくいかないんですよね。それで、よし子どもにつけてやれと思って、それで造ったんですよ。ギリシャの彫刻ってのは、おちんちんがついてても品がいいんですよ。外人ってのは8割が皮かむり、日本人は8割がむけてるんだそうですがね。 |