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Q;故郷を歩いてみた感想をお聞かせください。
A;ほとんど覚えていないですよ。昔は、、 |
Q;七つ森を訪れて「何も思い出せない」とおっしゃってましたが?
A;親父の後ろ姿が薄く禿げてたのを覚えてます。それと、、 |
Q;今回久しぶりに訪れた印象はいかがですか?
A;黒川郡舞野村のは覚えてるんです。うちの父は、、 |
Q;作家の方が生まれ育った風土との関わりがあるといわれますが、どうお考えですか?
A;『大人になっても忘れないようにこの風景を覚えておこう』なんて、子どもが考えることは全くないわけ、、 |
Q;フランスのロダン美術館での展覧会について教えてください。
A;僕たちが学生の頃には、フランスというよりもパリが憧れでね、、 |
Q;その、なんかいいところというのはどこですか?
A;一生懸命母を造ったってことだけですよ。、、 |
Q;母の顔以後、ご自分でどういう変化がありましたか?
A;そういうのは自分ではなかなかわからないんですよ、、 |
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Q;シベリアで逃亡して、どうせならパリまで歩いていこうと思ったと書いておられますが、その辺のことを教えてください。
A;ソビエトのスイフン川っていう大きな川があるんですよ、、 |
Q;実際にパリに行かれたのはいつですか?
A;何十年後ですね、東京造形大学の卒業生と一緒に、、 |
Q;以前著作で、その時ヨーロッパの風景のスケッチをしてたが、すぐに飽きたというようなことをお書きになってたと思うんですが、どうだったんでしょう。
A;あのね、向こうの建物っていうのは大体ひとつの風景の中に、、 |
Q;デッサン、スケッチ、物を見るということですが。何か造ろうとされるとき、やはりモチーフを決めて、それをどうしていこうかというシナリオがあると思うんですが。
A;シナリオっていえば、まあ、言えばシナリオなのかもしれないんですが、、 |
Q;古木のスケッチなどは、いろんなところでじっくり見て描きますよね、その時に、過去の記憶とか、描いてきたこととか、経験だとか、いろんなことが入ってきますよね。
A;木のことが出てきたんでね(スケッチを取り出す)……こういう古い木になっちゃうと、、 |
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Q;古木なんかでも、「これはいいな」と思ったり「これはそうでもないな」と思ったり、選ぶんですか?
A;人によってもこれは、3人が3人の絵や彫刻やる人がいたら、「おれはこっちがいい」「いや自分はこっちだ」と、、、 |
Q;やはり好み、ということになりますか?
A;好みっていうと趣味みたいになっちゃうけど、二十年なり生きてきた、、 |
Q;そういう取捨選択する目というのは、簡単には手に入らないものですよね。
A;皆それなりの……作家はこういうこと言うと皆自分へ跳ね返ってきちゃうけど……苦労とかなんとかがね、、 |
Q;ヘンリー・ムーアさんのアトリエへ行かれたとき、アトリエに置かれた流木や石ころを見て、「ああ、これのことだったのか」と感じたと著書に書かれていますが、その辺のことを教えてください。
A;ヘンリー・ムーア先生のところに、20年の間に3回、僕はおじゃましてるんですよ、、 |
Q;作家の魂の強さっていうことをおっしゃってますが、私たちも言葉で聞くとわかったような気になるんですが、先生がヘンリー・ムーア先生から感じた創作の秘密というようなものは……。
A;これも、いかにもそれに合わせたような話になりそうですが、、 |
Q;「憧れのないところにいろんなものは成就しない」と著書に書かれていますが、子どもたちが何かを造ろうというとき「憧れをもつ」ということについて少しお話しいただけませんか。
A;憧れっていうと、ひとつの美しいものとか、形だけの美しさになって、、 |
Q;それはやはり、人生観ですよね。
A;だろうと思いますね。自分が錯覚して、それができないと思う、、 |
Q;先生が「切なさ」という言葉をよく使っていらっしゃるように思われるんですが、どうのようなことですか?
A;闘おうとしてるわけですよね。失敗ねえ……全部失敗みたいなもんですよ。ぼくは評判になるのは、、 |
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Q;失敗を繰り返すことについて。特に子どもの教育で「つくる」という行為において、何が今の教育に足りないと思われますか。
A;触覚感でしょうね。なんでかというと、我々はお互いに生物なんですよ、、 |
Q;個性ということについて。例えば100メートル走で、1位と2位でほんの僅かしか違わないけれど、お互いにその違いは十分に分かっているはずだ、というような、、。
A;今はね、文部大臣から総理大臣まで「個性、個性」というけれども、、 |
Q;作家の個性としての終盤のあたりの、本当にぎりぎりのところに近づかないと見えてこない、というようなことを語っておられますが。
A;私は明治の人間なので古くさい話ばかりしてますがね、例えばレオナルド・ダ・ビンチのルネッサンスの頃、、 |
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Q;失敗すればするほど、自分に跳ね返ってくると。
A;北海道大学の柴田先生って方が、北海道から出てきて美術学校に入った頃、、 |
Q;時間を経て、失敗をたくさんすればするほど、見る眼そのものはどんどん上がっていきますか?
A;ええ、見分ける眼っていうのはね……じゃ、それにじぶんはくっついていってるかというとね、、 |
Q;創作において、余分なものがあると思うんですが、先生において余分なものって何でしょうか。
A;創作に限らず、余分なものはありますけれどね。芸術家ばかりじゃなくて、人生の闘いにおいて、誰にでもあるものですけど、、 |
Q;ご自分を芸術家といわずに、職人とおっしゃるのは、そういう意味もあるんですか?
A;わざと言ってるところもあるかもしれないけれども、例えば彫刻なら彫刻の学生を見てても、職人としての訓練が、、 |
Q;そういうものは、見えるものですか。
A;見えるかどうかは知らないけれど、ぼくはそう思ったんですよ、、 |
Q;宮城県美術館の佐藤忠良記念館に、《二歳》という子どもの彫刻がありますね。
A;ぼくは出す気はなかったんですよ、あのおちんちんのやつね、、 |
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Q;絵画などと違って、彫刻は眼から造ることはできないといいますが、やはり関節やなんかをしっかり見てつくるのですか。
A;そうです。基礎をきとっとやらないと嘘になりますからね。相当有名な人でも、、 |
Q;先生は具象彫刻で自然から学ぶわけですよね。
A;例えばわれわれが学校に入った頃は、朝倉先生や北村先生……あの長崎の恥ずかしいこんなの造った、、 |
Q;新しい方向にひかれたということですか。
A;そうだね。生き様っていうのは、ただ人体をこうやればきれいに、寸法のいいプロポーションの、、 |
Q;人間の体っていうのは、手と足と……6つのパーツでできていて、それで造り出していくわけですよね。そういう丁寧に見るっていうことが大事なんですか?ピカソの山羊の眼の話みたいに、、。
A;あれも、シベリアへ行ってびっくりしたんですよ。今まで山羊の眼でも羊の眼でも、、 |
Q;彫刻で、音楽や文学に負けたくないと言っていますね。過去や現在、未来までも入れ込む、と。何となく言葉ではわかるんですが、もう少し具体的に聞かせてください。
A;例えば、王さんをデス・マスクとって、あの彫刻の横に並べたら、、 |
Q;彫刻家の方のデッサンと、画家の方のデッサンとでは違うと思うんですが、どこがどう違うんでしょうか。
A;よく彫刻家のデッサンは、絵描きのデッサンよりもいいって、惚れ込んだ人はそういうことをいいますけどね、、 |
Q;先生にとって、美学とはなんでしょうか?
A;いやあ、それはわかんないですね……もちろんお互いに批判はできますよ、、 |
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Q;弟子の方には厳しいそうですが。
A;先生は「教える人」ですから、、 |
Q;古木の絵本を纏めていますね?
A;ああ、なんだか1月に出るそうです。なんだか恥ずかしいんだけどね、、 |
Q;子どもからの質問を想定して考えたのですが。まず「粘土を触った感じはどんなですか?」と聞かれたら……。
A;うーん……子どもがそう聞いてきたら、ってことですか? 、、 |
Q;触った感触が「どのような感じ」なのかを、簡単な言葉にすると、どうなりますか?
A;そういわれてもね、60何年使ってて意識したことがないからねえ、改めて質問されるとねえ、、 |
Q;それは、先生は気持ちいいと感じてるということですよね。
A;気持ちいいっていわれるとなあ、これでなんとかやってやるっていう、一つの素材になってるから、 |
Q;反対に、気持ち悪い「触るもの」って何ですか?
A;何だろうね。ヘビ? でもあんなもの、しょっちゅう触るものじゃないだろう、、 |
Q;「印象深い体験は絵に出る」これはどういうことなのか教えてください。
A;歌でも文学でも同じことですがね、自分が生きてきた生き様の中で、ぶつかり合って、ハッとするような、、 |
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