1864年(文久4年、元冶元年)
1月2日 将軍家茂上洛の警護の為、下坂する。
1月6日 将軍家茂、天保山沖に到着。
1月8日 安治川河口付近で将軍家茂を出迎え、大坂城に入るまで警護する。
1月14日 将軍家茂の上洛前に伏見城、市中警備をする。
1月15日 将軍家茂の上洛に従って警護をして帰営。
1月27日 山南敬助が小島鹿之助宛に年賀状を記す。
2月2日 壬生を訪れた日野蓮光寺村名主富沢忠右衛門が土方、井上、沖田らと酒宴する。
2月3日 近藤が富沢の宿を訪ねる。
2月4日 松平容保が近藤、土方に前年の政変の時の働きに対して銀を下賜する。
2月6日 五条大橋付近で酒に酔って乱暴を働く武州人2名を夜、捕獲。
2月8日 富沢が新選組を訪ねて武州人を引き取って京都から放逐する。
2月9日 土方、井上、沖田が富沢を訪問したが不在。
2月11日 松平容保が長州征伐の為に、陸軍総裁職に着任する。
2月12日 夜、新選組入隊希望者の新徴組脱士塩沢能太郎、手塚佐兵衛が、妻籠宿で通行手形不所持の為捕縛される。
2月13日 松平容保、改称して軍事総裁職となる。
2月15日 松平春嶽が京都守護職に着任。
2月20日 文久から元冶へと改元。
2月26日 大阪屋で遊興中の武士1名、左官職人2名を捕縛。
3月3日 京都所司代稲葉長門守正邦から新選組は従前通りに支配するということを松平容保に報告。
土方、井上は富沢忠右衛門を誘って清水寺に参拝後、祇園の茶屋で酒宴を開く。
3月5日 近藤、沖田、藤堂、井上は富沢を誘って島原の木津屋で酒宴を開く。
3月11日 近藤、沖田、藤堂、井上、武田は富沢を誘って花見の宴を開く。
4月6日 岡山に潜入していた新選組密偵が4人に斬殺される。
4月11日 新選組は帰府のため先立ちする富沢の送別会をする。
4月12日 土方は富沢に佐藤家へ送る鉢鉄と彦五郎、土方為三郎宛の手紙を託す。
4月13日 土方は伏見まで富沢を見送る。
4月22日 松原通りの木町屋で出火のため出動した新選組は、現場で不審な長州人2人を捕縛して長州人の多数の者が京都に潜伏していることを知る。
4月24日 京都見廻組が結成される。
5月3日 新選組は近藤を代表として幕府に建白書を提出する。
5月6日 四条りで会津藩士と浪士の戦いがあり、新選組は浪士2名を捕縛。
5月7日 江戸に帰還する将軍家茂下坂のため警護する。
5月14日 会津藩を通して見廻組から欠員補充のため新選組隊士の参加申し入れをしてくる。
5月16日 安治川河口で将軍家茂を見送る。
5月20日 夜中、大坂西町奉行所与力内山彦次郎が大阪天満橋で殺害される。新選組の仕業だという説がある。
5月中 近藤が谷周平を養子に迎える。
6月1日 鴨川東岸中間体2人を捕縛し、長州人40名の京都潜入の事実を知る。
6月5日 早朝、武田観柳斎が枡屋喜右衛門こと古高俊太郎を捕縛し拷問をする。
そして夜、池田屋事件が勃発。
6月6日 近隣の探索、死傷等の確認後に屯所に帰る。
6月7日 5月14日にあった見廻組からの新選組隊士要請を断る。
6月8日 池田屋事件のことを郷里へ書簡を送る。
6月9日 会津藩より20名余りの応援に応じる。
6月10日 明保野亭事件が起こる。
6月11日 麻田時次郎、土佐藩邸で切腹。
6月12日 柴司が責任をとって自刃。
6月13日 柴司の葬儀に土方、井上、武田、河合、浅野が参列。
6月20日 土方は彦五郎に書簡を記す。
6月21日 六条西本願寺辺りに西国浪士多数が潜伏しているとの情報で本願寺を探索する。
6月23日 深夜、東本願寺で休息をとる。
6月24日 長州軍上洛のため竹田街道に出陣。
6月28日 鴨川九条河原に出陣する。
7月2日 探索方川島勝司が嵯峨天龍寺の長州藩陣地を偵察して報告書を記す。
7月7日 隊士の松山幾之助が岡山藩偵察に城下で捕らえられて殺害される。
7月8日 四条御土居付近で長州密偵渡辺九八郎を捕縛、しかし井上辰之助は逃走。
7月11日 三条小橋辺りでが肥後の河上彦斉に殺害される。
7月13日 池田屋惣兵衛、六角牢で獄死。
7月19日 蛤御門の戦い(禁門の変)が起こる。
7月20日 古高俊太郎らがいる六角獄舎の囚人多数が殺害される。
天王山にいる真木和泉捕縛のため伏見に宿泊する。
7月21日 伏見を出発して天王山へ。真木和泉ら17名天王山を攻めるが自刃してしまう。
7月22日 大阪の長州屋敷を焼き討ちする。
池田屋事件の受傷の悪化によって安藤早太郎が死亡。
8月3日 河合耆三郎、松本喜二郎が長州兵による摂津高浜村の被害を調査。
8月4日 幕府から池田屋事件の恩賞金を下される。
摂津高浜村より被害なしと報告が届く。
8月15日 新選組、会津藩に禁門の変の賞状が老中より下される。
8月18日 禁門の変の時に長州兵と合流しようとしていた剣客斎藤弥九郎の義弟ら5名を捕縛する。
8月中 永倉、原田、斎藤、島田、尾関雅次郎、葛山武八郎らが近藤を批判する建白書を会津藩に提出する。
9月5日 将軍の上洛、隊士募集のために近藤、永倉、武田、尾形俊太郎が江戸へ出発。
またこれに先立ち、藤堂が伊東甲子太郎に新選組加盟を勧誘する。
9月6日 葛山武八郎、近藤批判をしたことにより切腹。
9月7日 長州同調者による投げ文をしたとして、鷹司家家臣水口貢、商人東一郎を捕縛。
9月9日 近藤一行、夕方に江戸到着。
9月10日 近藤一行、会津藩邸に訪問する。
9月15日 近藤は小島鹿之助を訪ねる。
9月16日 土方、勝海舟宛に手紙を送る。
9月30日 近藤は日野の佐藤家に訪れる。
10月5日 新選組隊士篠塚峰三、元主人の申し入れによって離隊。
10月7日 入隊希望の日野の松本元太郎、小林重太郎を入隊許可せず。
10月11日 近藤、神田和泉橋医学所に松本良順を訪問する。
10月14日 近藤、松本良順を再訪問する。
10月15日 近藤一行、江戸を出発する。
10月27日 近藤一行、伊東甲子太郎らをともなって京に到着。
11月17日 禁門の政変により幕府から恩賞が下される。
12月2日 隊士50名が勢多へ出張する。
12月中 新選組行軍録を作成。
12月中 五条坂に潜伏していた浪士11名を捕縛。



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