日本におけるデモ活動
デモはデモンストレーションの略で、法律上では集団行進、示威行進、集団示威運動などと呼ばれます。国民が政府などに対して要求、または抗議の意を示すために行う運動で、日本では各地方公共団体の公安条例によって規制されています。日時、場所、目的などに関して事前の申請の必要があり、そこで公安委員会に危険と認められた場合は行うことができません。
新潟県公安条例事件
公安条例によってデモ活動が規制されていることに関して、憲法21条にある「集会の自由」または「表現の自由」に違反するのではないかという意見もあります。 1950年(昭和25年)、『新潟県の公安条例が憲法21条にある「集会の自由」に違反するのではないか』ということを争う裁判がありました。(新潟県公安条例事件) 最終的に、最高裁判所は1954年(昭和29年)、新潟県の公安条例は違憲ではないとの判決を下します。判決の理由は以下の通りです。
<裁判要旨>
地方公共団体の制定する公安条例が、行列進行または公衆の集団示威運動につき、単なる届出制を定めることは格別、一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反するが、公共の秩序を保持し、または公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所または方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、これらの行動をなすにつき予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめて、このような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を設け、さらにまた、これらの行動について公共の安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せずまたは禁止することができる旨の規定を設けても、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものということはできない。
つまり、デモ活動を基本的に禁止とし、許可された場合のみ認めるという内容であれば違憲だけれども、禁止が前提の許可制ではなく、公共の安全のため、合理的かつ明確な基準のもとにあらかじめ許可を受けさせる、または届出をさせること、また、公共の安全に危険を及ぼすと認められたものに関して禁止することは違憲ではないとしています。
日本で起こった主な大規模デモ
日本でも過去に様々な主張の、様々なデモが行われてきました。全国的に動きのあった大規模なデモ活動の中でも、国政に対して行われたデモ活動の一部を紹介します。
1960年:安保闘争
1959年3月、日米安全保障条約の、アメリカと対等な内容への改定交渉が本格化する中で、日本社会党、日本労働組合総評議会等により「安保条約改定阻止国民会議」が結成されたことにより始まったものです。この改定によって日本がアメリカの軍事策略に巻き込まれることを危惧した国民により、1959年4月以降60年10月まで、多くの全国統一行動が行われましたが、圧倒的多数の議席を持つ与党によって強行採決され、新安保条約は、1960年6月23日に発効されました。
2014年:集団的自衛権をめぐる動向及び反戦・反基地運動
2014年、集団的自衛権(自国と深い関係にある他の国家が武力攻撃を受けた場合は、自国が攻撃を受けていなくても共同して防衛することができる権利)を、日本が憲法により使うことができないことに関して、憲法の解釈を変え、これを認めようとする動きがありました。これをめぐり、2014年4月上旬から全国各地で反対集会、デモ等が行われました。「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」が閣議決定された当日及びその前日(同年6月30日及び7月1日)には、首相官邸前に各日1万人超(いずれも主催者発表)が集まり抗議行動を行ったとされています。 また、反戦・反基地運動では、沖縄県の普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐり、海底ボーリング調査の中止等を訴え、移設先のキャンプ・シュワブゲート前等でも抗議行動が行われました。
2017年:憲法改正等をめぐる動向
憲法改正、特に第九条に自衛隊を明記することをめぐり、2017年5月3日に都内で行われた抗議行動には、約5万5,000人が参加したとされています。また、テロ等準備罪の新設等を内容とする組織的犯罪処罰法の改正等をめぐり、同年6月10日に国会議事堂周辺で行われた抗議行動には、約1万8,000人が参加したとされています。
今でも、日本ではほぼ毎日のように、様々な主張のデモ活動が行われています。 各地方公共団体の公安条例に則っていれば、デモ活動も自らの主張を届けるための重要な政治参加活動の一つと言えます。
次へ><戻る