チョコレートってなんなん?

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チョコレートの歴史

初めに

ここではチョコレートの成り立ちや語源など、その歴史を深堀していきます。

~注意!~

なるべく間違った知識を載せないように複数の文献から知見を得て本文を書いていますが、
新しく作られた説や歴史的発見によって今までの説が覆される可能性があります。
ご了承ください。


もくじ

カカオの起源

紀元前3300年~1600年ごろ

チョコレートの原料であるカカオは紀元前3300年~1600年に誕生しました。
誕生場所はメソアメリカ説(中南米)南米説があります。

メソアメリカ説

この説は、紀元前3300年ごろのメソアメリカ(中南米)で
オルメカ人による栽培が始まったというものです。
実際に、紀元前1900年ごろに栽培されていたことがマヤ文明やアステカ文明の土器・壁画・石碑から分かっています。
しかし、この説は現在否定されています。


Heraldry, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

南米説

この説は、紀元前3300年ごろにマヨチンチペ文明(ペルー)の
サンタアナラフロリダ遺跡からカカオのでんぷん粒の痕跡が見つかったということからきています。
そこから太平洋側の交易路を利用してメソアメリカ地方まで運ばれたという説です。
最新の研究によると、こちらの説が正しいようです。


Keepscases, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

そうして中南米に広まったカカオは、メソアメリカにおける高度な文明の中で、
カカウという言葉を用いて情報が伝えられており、
農業面での文化共有が盛んに行われていたことを意味します。
また、カカウという言葉が現在のカカオの語源です。
また、現地人の間では「カカオは神秘的な力を持つもの」とされ、儀式での献上品、薬、交易品、さらには通貨として、3400年ほど用いられていました。

最初こそ調理せずに飲んでいましたが、紀元後1400年頃になると調理技術が発達しました。
焙煎したカカオ豆をすりつぶし、トウモロコシの粉、唐辛子、バニラなどを入れ、水で溶かしたドリンクを飲んでいました。
このドリンクが現代のチョコレートの原型「チョコラトル」です。


チョコラトルには砂糖などは入っておらず、苦い味だったようで、
チョコラトルは現地語のナワトル語で「苦い水」という意味だったようです。

また、チョコラトルは非常に栄養価が高く、アステカの皇帝モンテスマは、
不老長寿の薬として、1日に50杯のチョコラトルを飲んだと言われています。

※また、ショコラトルやカカワトルとも言われていますが、当サイトではチョコラトルで統一いたします。


大航海時代

15世紀後半に入ると、ヨーロッパは大航海時代に突入します。
スペインは大西洋を横断して、ポルトガルは南アフリカを経由して
どちらがインドに到達できるかの競争が始まりました。


西回りで日本やインドに行こうとするクリストファー・コロンブスの望みが承認され、
1492年に初めてスペインを出発し、その後アメリカ大陸を発見します。


Viajes_de_colon.svg: Phirosiberiaderivative work: Phirosiberia, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

1502年、コロンブスの第四次アメリカ航海(地図上緑線)で、現在で言うホンジュラスを訪れ、
ヨーロッパ人として初めてカカオを入手し、スペインに持ち帰りました。

コロンブス自身はカカオに興味を持ちませんでしたが、息子のフェルナンドは
運搬していた交易品の中に、アーモンドがあった。
 マヤ人はこのアーモンドを落とすと、自分の目を落としたかのように
 一生懸命探して拾っていた。
」と残しています。
アーモンドとカカオは似ていて、マヤ人の必死さからこのアーモンドは
カカオで間違いないだろうと考えられています。

また、当時、カカオを食べた神父、ホセ・デ・アコスタはこのように残しています。
非常に不快な味のする、かすや泡があり、体験したことがないほど気分が悪くなる。
 だが現地の者たちには大変尊ばれており、高貴な来訪者をもてなすのに用いられる。
 この国に慣れ親しんだスペイン人ならば男女を問わずこの飲み物に貪欲となる。
 彼らはそれを飲むことで暑さや寒さその他さまざまなものが和らぐと言い、
 唐辛子を大量に入れる。
 さらに胃腸に良くカタル予防になると肌にも貼り付ける。


ホットチョコレート

16世紀前半、チョコラトルがスペインに持ちこまれました。
1521年から1528年にかけて、スペインの「コンキスタドール」と呼ばれる侵略者たちが
メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した際に持ち帰ったのがきっかけのようです。
こうしてスペインに持ち込まれたチョコラトルは王や貴族の間で流行します。
また、断食をしているスペインの修道院で共同生活をする修道士にも好評で、
庶民も飲み始めるようになりました。

しばらくは、スペインでもアステカ流の飲み方が使われましたが、
次第にスペイン人の嗜好に合わせる形で材料が変化。
チョコラトルから「ホットチョコレート」へと姿を変えます。


Jo Anslow from Cambridge, CC BY-SA 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

具体的には、特有の苦みを消すため、砂糖や牛乳を加え、
唐辛子の代わりに安価なコショウやシナモンが使われるようになるなど、
あらゆる場面で飲みやすくなっていきます。
しかし、このころの砂糖は高級品であったため、
ホットチョコレートを飲める人は一部の貴族のみでした。

そして、スペインでのホットチョコレート普及から間もなくして、
スペイン人はアフリカの奴隷を使いカカオを生産し始めます。
というのも、当時、カカオ豆は手作業で作られていたため、
奴隷を必要としていたのです。

※ちなみに、ホットチョコレートとホットココアはほとんど同じで、
厳密な区別はありません。


ヨーロッパでの流行

17世紀になると、ヨーロッパ全体にホットチョコレートが普及し始めました。
ホットチョコレート愛飲家だったスペイン国王の娘アンヌ・ドートリッシュが
フランス国王ルイ13世と結婚。
続くルイ14世も同じくスペイン国王の娘マリー・ドートリッシュと結婚。
マリーがチョコレート専門料理人を連れて行ったことで、フランスにもカカオ文化が流入し、
たちまち貴族の間で広まります。

2つの婚姻によってフランス貴族へ浸透したホットチョコレートですが、
その流行から、取っての付いたカップやチョコレートポットも普及しました。
有名な物は「ショコラティエール」です。
このポットには泡立て用の攪拌棒を入れるための穴がついている特別仕様です。


Valerie McGlinchey, CC BY-SA 2.0 UK, ウィキメディア・コモンズ経由で

フランスを追う形でカカオ文化はイギリスにも上陸します。
イギリスでは共和制つまり人民に権力があったことなどが原因で
初期から庶民の手に届くものとして流行しました。
また、1657年にロンドンに最初のチョコレートハウスが開店しました。


作者のページを見る, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

それを後押しする形で1693年にフランスでカカオの取引や
チョコレート販売の自由化が始まります。
また、1745年にスイスの画家リオタールによって書かれた
チョコレートを運ぶ娘」は
チョコレートが庶民に浸透したことを表す有名な絵画です。


ジーン・エティエン・リオタール, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

チョコレートミルク

1689年に当時、医師で収集家だったハンス・スローンが
チョコラトルをベースにチョコレートミルクを開発しました。


Sugar Bear, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

こちらの原型はチョコラトルで、元々苦い飲み物でしたが、
こちらも砂糖や牛乳を入れることで甘い飲み物へ変化しました。 
しかしこちらも当時高級な砂糖が入ったことにより、
ミルクチョコレートドリンクは貴族の間のぜいたく品となりました。
※ちなみにチョコレートミルクはホットチョコレートの兄弟みたいなものです。


産業革命と固形化。そして低迷

18世紀末、ヨーロッパ各地に水力を活用したチョコレート製造所が登場。
その後、産業革命の影響もあり、徐々に水力から蒸気機関へと移行していきました。
この変化により生産効率が向上し、それに比例して世界中での消費が活発化していきました。

しかし、シモン・ボリバルによる南米の動乱の影響でカカオ生産が落ち込み、
ナポレオン戦争の影響で高級品の買い控えが発生したり、
さらにナポレオンの大陸封鎖令により品薄状態が続くなどの要因が重なり、
チョコレートは低迷期を迎えました。


四大技術革新

19世紀に入るまではチョコレートは飲み物でしたが、
19世紀初頭から技術革新が次々と起こり、現在のチョコレートの形が成立します。

バターパウダー分離とダッチプロセス

1828年にオランダのクーンラート・ヨハネス・ファン・ハウテンが
カカオからココアバターとココアパウダーを分離する製法を確立し、
さらにカカオにアルカリ処理を行うことで苦みを和らげるダッチプロセスも考案しました。

固形チョコレート

1847年にはイギリスのジョセフ・フライが固形チョコレートを発明。
この固形チョコレートはまだ苦かったそうです。


image by hagi(チームメイト)

固形ミルクチョコレート

1875年にはイギリスのアンリ・ネスレとダニエル・ペーターが
固形ミルクチョコレートを開発。
そうして固形の苦さも消えます。


image by hagi(チームメイト)

コンチェ撹拌機

さらに1879年にはスイスのルドルフ・リンツにより「コンチェ」という攪拌機が発明され、
ざらざらしていた固形チョコレートは滑らかな口当たりへと変化しました。


I, Noebse, CC BY-SA 2.5, ウィキメディア・コモンズ経由で

上記の発明は「チョコレートの4大技術革新」とも呼ばれるようになりました。

こうした発明によって19世紀後半にはチョコレート産業は小規模な生産から
大企業による大量生産へ移行していきました。
スイスのネスレ社,リンツ社,イギリスのキャドバリー社,アメリカのハーシー社など
大手チョコレート企業が誕生し、安定して大量生産されたチョコレートにより
値段が下がり、一般市民も楽しめる菓子となっていきました。
一方でベルギーやフランスでは高級チョコレート店も多く存在しています。
高級チョコレートも大きな需要があり、
この二つが一般市民の食しているチョコレートのほとんどを占めています。


奴隷

20世紀前半になると、アフリカや東南アジアといった大国の植民地に
カカオの栽培が拡散していきます。
1910年にはギニア沖のサントメ島が世界最大のカカオ輸出地になるなど
カカオの生産はアフリカにシフトしていきます。

しかし現在でも強制労働や児童労働は行われており、
女子供を問わずに搾取され続けている状態です。

そんな状況打破するために第二次世界大戦以降「フェアトレードマーク」が生まれました。


Fairtrade, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

また、フェアトレード認定商品の販売や利用を促進している街を認定する
フェアトレード・タウン」が広まっています。

しかし、フェアトレードは類似商品よりも価格が高いことや、
大量生産が難しいなどの問題もあります。


いつか全ての商品がフェアトレードになることを願っています。


参考文献

  • チョコレート大辞典 "【チョコレートの歴史】カカオの広がりと飲み物だったチョコレートのお話"
  • 世界史の窓 "大航海時代"
  • お風呂リフォーム日記 "チョコレートの起源と歴史を探ってみたらスペインによるアステカ帝国征服からだった"
  • 楽天市場 "カカオのONES ブラックココアパウダー 500g ブラック ピュアココア 砂糖不使用 無添加 香料不使用 パウダー カカオポリフェノール ポリフェノール 大容量 ガトーショコラ お菓子 送料無料"
  • 日本チョコレート・ココア協会 "チョコレート・ココアの歴史"
  • Hello.Chocolate "チョコレートの歴史を解説!世界や日本でチョコレートはどのように広まったのか?"
  • Hello.Chocolate "ココアとはカカオの別称? ホットチョコレートとの違い・おいしい作り方も紹介"
  • ロッテ公式サイト "チョコの起源と歴史"
  • NATIONAL GEOGRAPHIC "チョコレートの起源、明らかになった2つの新事実"
  • xoco STONE GROUND XOCOLATEl "about"
  • チョコレート by フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 is licensed under CC BY-SA 4.0

  • チョコレートの歴史 by フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 is licensed under CC BY-SA 4.0

  • History of chocolate by Wikipedia, the free encyclopedia is licensed under CC BY-SA 4.0