1894年、朝鮮半島南部で、農民たちが外国勢力を排除するためデモを起こしました(甲午農民戦争)。
朝鮮の求めに応じて、清が軍隊を派遣すると日本も出兵し、日清戦争が勃発しました。
その後、日本が勝利し、下関条約が締結されました。日本は、清の領土である、台湾、澎湖諸島、遼東半島をもらい、多くの賠償金も得る事ができました。
しかし、ドイツ、ロシア、フランスが遼東半島を清に返還するように求めました(三国干渉)
三国干渉の結果、満州を占領したロシアは、清との条約で兵を引いても撤兵せず、韓国にも軍事施設を建て始めました。
日本国内では、ロシアとの戦争に対する世論が高まりました。
ロシアとの交渉はまとまらず1904年ロシアに宣戦布告しました。
さらに日英同盟があったためイギリスは日本を支援しました。
その後イギリスによるロシア艦隊への妨害などによって日本海海戦で勝利しました。
しかしながら日本は多くの犠牲者を出し、さらには物資まで不足してしまいました。
生活が苦しくなり、戦争続行は困難になりました。ロシア国内でも農民のストライキが起こり、和平を求める声が高まりました。
その後アメリカの介入でポーツマス条約が結ばれ、日本は、南樺太、千島列島、南満州鉄道を貰いました。
1919年3月2日、第三インターナショナル(コミンテルン)が設立されました。
1922年、世界初のムッソリーニによりファシスト政権がイタリアで誕生しました。
1933年、ドイツが国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の一党独裁になりました。
1934年、日本はロンドン海軍軍縮条約を脱退しました。
1936年、ドイツがラインラント進駐、ベルリンオリンピック開催、スペイン内戦(国粋vs共和)などの出来事がありました。
1937年、中国で日本軍が盧溝橋事件を起こしました。
1938年、ドイツがオーストリアのアンシュルス(オーストリアの併合)を行いました。中華統一戦線が黄河を決壊させました。
1939年ドイツがミュンヘン会談を行い、スデーテンラントを割譲され、その後チェコスロバキアを解体(ドイツがチェコを、ハンガリーがスロバキアの一部をドイツに割譲、残りはドイツの傀儡国スロバキアが生まれた)しました。
1939年8月、ドイツとソビエトの間で不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)が結ばれました。その内容は、公表された条文は独ソ間の相互不可侵および中立義務のみでしたが、同時に秘密議定書が締結されました。その内容は、独ソ間でポーランドを東西で分割し、ソ連がバルト三国、フィンランドのカレリア地方とルーマニアのベッサラビアの領有をドイツが認めるという内容でした。
1939年 9月1日、第二次世界大戦がはじまりました。 ドイツは電撃戦でポーランドに侵攻し、モロトフ・リッベントロップ協定によってソ連も参戦し、ドイツとソ連でポーランドを東西に分割しました。 その後、フランスのアルザス=ロレーヌ地方にあるマジノ線を迂回するため西方電撃戦を開始し、ベネルクス三国に侵攻して約1ヶ月でフランスを降伏させました。その時ヴィシー・フランスと、自由フランスに分かれました(ヴィシー・フランスはドイツの傀儡政権です)。 1941年、ドイツは東方生存権確保のため独ソ不可侵条約を放棄し、バルバロッサ作戦を開始しソビエトに攻め込みました。 一方、日本はフランス領インドシナに進駐しました。それによってアメリカが日本に対し石油の禁輸を行いました。 1941年12月、日本は真珠湾攻撃を行い、同時に英領マラヤや、フィリピンなどを攻撃し、太平洋戦争がはじまりました。 それにより、アメリカが連合国に加盟しました。 1942年、日本はミッドウェー海戦での敗北から劣勢になっていきます 1943年、イタリアが降伏しました。ドイツは赤軍の物量に押されていきます。 1944年、ノルマンディー上陸作戦が実施されました。 1945年3月10日、東京大空襲がおこります。 1945年4月、ソ連がベルリンを占領、アドルフ・ヒトラーが自殺し、ドイツは降伏しました。このころ沖縄戦が始まります。 1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されます。9日、長崎に原子爆弾投下、同日、ソビエトが満州に攻め込みます。 1945年8月15日、日本は天皇陛下の玉音放送により、無条件降伏を受け入れます。 1945年9月、日本は正式に降伏しました。