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ロンドン・スモッグ

深めるロンドン・スモッグ



1873年、1880年、1882年、1891年に、ロンドンは深刻なスモッグに襲われました。

1880年のスモッグではなんと1200人もの死者を出しました。この記録は1952年まで最悪の記録となりました。

スモッグの発生日数としては、1840年代には20日間だったのが、1890年代になると70日間に及ぶようになりました。


その時の『タイムズ』紙には

「朝10時を回ったというのに、まだ手紙も読めないほどに暗く、半時間経ってもまるで皆既日食のような暗さだ」

という記事があったほどでした。


1913年に『ランセット』という医学誌は

「毎年、ロンドンには76000㌧の煤が降り、それは1平方キロメートル当たり270㌧になる」

という論文を掲載したほど、膨大な煤塵すすや燃えかすなどの微粒子。が発生していました。

76000㌧は、別のものに言い換えるとオスのアフリカゾウ11頭ほどの重さです。


大気汚染工場の排煙、自動車の排気ガスなどに含まれる
有機物質によって大気が汚されること。
煤煙•一酸化炭素•二酸化硫黄•窒素酸化物•アスベスト•フロンガス•農薬•重金属•放射性物質などによる。
に対する全国的な関心が盛り上がるのは1952年の「ロンドン・スモッグ」以後です。

「ロンドン・スモッグ」は、「グレート・スモッグ」「殺人スモッグ」といった別名もあるくらいで、

史上最悪の大気汚染事件でした。


イギリスの大気汚染の歴史を書いた『ザ・ビッグ・スモーク』によると、

・12月4日は、まだ微風があり太陽も時々顔を覗かせていたが、


・翌5日から、高気圧大気圧が周囲より高い所。
高気圧の域内では下降気流があり、湿度は小さく、
一般に天気がよいが、縁辺部では曇り•雨•雪になる事がある。
が居座り、風はばったり止まって湿度も上がっていき、上空には逆転層が現れ、

 昼間でも薄暗いほどで、道路も家の中も黒い霧が覆い尽くすような光景となりました。


・7日はさらにひどく「暗い日曜日」として歴史に残る日となりました。

 視界が悪く交通は混乱しオペラの公演も舞台が見えなくなり中止が相次ぎました。

 人々は目の痛みや呼吸困難何らかの原因により、肺でのガス交換が妨げられ、
組織に十分な酸素が供給されない時におこる、
呼吸運動が病的に亢進(こうしん)した状態。
呼吸は浅く、頻繁になり、呼吸筋以外の筋肉が呼吸運動に加わり、苦しむ。
を訴えましたが、救急車が動けず、病院も患者であふれかえり、死者が増えていきました。


・9日の火曜日の午後遅く、ようやく風が吹き始めましたが、黒い雲の塊はそのまま東へ移動していきました。

 スモッグが晴れた直後から、今度は酸性を帯びた雨や霧に見舞われました。

 pH1.4~1.9というレモン以上に酸っぱい雨でした。

 そして、その後数ヶ月にわたって4000人もの「死者の置き土産」を残しました。

 犠牲者は老人と乳幼児に際立って多いものとなりました。



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