ブラジル音楽の起源とブラジルの歴史

前半 / 後半

 音楽のページで紹介してきたように、ブラジルにおける代表的な民族音楽はサンバ・ボサノバである。このページでは、サンバ・ボサノバの起源とその歴史を紹介する。

 サンバやボサノバに見られる複雑なリズム、そしてサンバの陽気な打楽器の音はアフリカの民族音楽がルーツにある。サンバはブラジルの音楽として確立されている。その音楽のルーツが黒人音楽であることは、ブラジルの歴史の中で黒人奴隷を買い付け、労働力として利用していたことがあったことを示している。そこで、このページではブラジル史の中でも、ブラジルにおける黒人奴隷の歴史と黒人奴隷解放をメインテーマとして紹介したいと思う。



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 ブラジルは、1500年にペトロ・アルヴァレス・カブラルによって発見された。現在のブラジルは、「ポルトガルの植民地」として歴史上に登場したのだ。発見された当時は「価値のない土地」と判断されあまり人も来なかった。その後、「ブラジルはさとうきびが育ちやすい土壌である」ことがわかり、16世紀の中頃からは、大量のさとうきびがポルトガル人によって栽培されるようになり、同時にたくさんのポルトガル人がブラジルに訪れるようになった。

  その頃、ブラジルの植民者は労働力としてインディオを使っていたが、彼らに定住性がない事、虐殺や伝染病によって数が少なくなってきた。そこで、植民者は黒人を奴隷として使うことにした。その結果、16世紀後半から17世紀においてブラジル北東部のさとうきびは世界一の生産額を誇るようになり、いわゆる「砂糖成金国」となった。この中で需要が伸びた黒人奴隷の数もどんどん増えていった。増加の一途をたどった黒人の奴隷は、居住区も広げていった。


Q1. もともと南アメリカの地に暮していたインディオの人達はどのような人々なのですか?一体彼らはどこから遣ってきたのですか?

A1.
彼らは日本人と同じ黄色人種(モンゴリアン)でモンゴルから長い移動の旅を経てブラジルにまで到達し住み着いたと考えられています。エスキモーやイヌイット、アメリカン・インディアン、そしてブラジルのインディオは元々は同じ人種の人達です。

Q2. 16世紀の世界ではどのように砂糖が使われていたのですか?

A2. 砂糖はもともと7世紀頃ニューギニアから伝わり、薬として重宝されていましたが、16世紀に新大陸の植民地化が起こったことから生産が急増してヨーロッパの人々の食生活に大きな影響をもたらしました。しかし、一般層にまで普及したのは紅茶が広まった17世紀からだとも言われています。

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 19世紀になると国内・国外両方において奴隷貿易禁止への動きが強くなり、結局ブラジルも1850年に奴隷貿易を廃止する法律を作ることになった。その後、皇帝ペドロ二世や教会が奴隷解放の必要性を認めはじめると、奴隷解放への画期的な法律「ヴェントレ・リブリ法(新生児自由法)」(1871年)が制定され、奴隷の子供を自由身分にする上に、奴隷主に8歳までの養育義務を負わせる規定を設けた。しかし実際には、「8歳になると賠償金を国家からもらって子供を国に引き渡す」か「子供を21歳まで使役する事が出来る」という条項があった。多くの奴隷主は後者を選択したため、「ヴェントレ・リブリ法」では奴隷解放を推進する事にはならなかった。

Q3. 「奴隷貿易禁止への動き」とはどんなものがあったのですか?

A3. 奴隷貿易は、15世紀にヨーロッパ人がアフリカを植民地化したことから世界的に広まりましたが、アメリカ独立革命(1775〜83)の頃から、アメリカ北部の州では革命思想の影響で次第に廃止されるようになりました。それを受けて、イギリスなどのヨーロッパ諸国もつぎつぎと奴隷貿易廃止、奴隷制の見直しへと方向転換するようになったのです。

Q4. 「皇帝ペドロ二世」とありますが、これはポルトガル王のことですか?それともブラジル独自の国王のことですか?

A4. ブラジルは既に独立していたのでポルトガル王ではなくてブラジル皇帝のことです。
 以前、ブラジルはポルトガルの植民地でしたが、1810〜20年代に近隣諸国が次々とスペインから独立していった事もあり国内では独立の気運が高まっていました。そして1822年、ブラジルの摂政ドン・ペドロ1世が独立を宣言したことによりブラジルは地を流すことなく独立への道を歩む事になったのです。