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太宰府天満宮の歴史
 
太宰府天満宮
太宰府天満宮は、罪を解かれて、神様の位に上がり、学問の神様と親しまれている『菅原道真すがわらのみちざね』公を埋葬するために建てられた神社。
905年、『味酒安行あじさかのやすゆき』によって祠庿が建てられ、919年に左大臣『藤原仲平ふじわらのなかひら』が社殿造営を行った。

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菅原道真の歴史
 
菅原道真
33歳で学者としては最高の文章博士をもらい、時の天皇の厚い信頼を受けて55歳で右大臣の位に登りつめた。
57歳で従二位に任ぜられ、その直後、時の左大臣『藤原時平ふじわらのときひら』の議言にあい、『大宰権帥だざいのごんのそち』におとされてしまった。
謹慎の身となった道真公は、ほとんど外に出ることもなく、病に伏せてしまい、その2年後に亡くなられた。

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太宰府の寺院の歴史
 

観世音寺
『中大兄皇子』が母『斉明天皇』の冥福を祈るために発願した寺院。
746年に天皇の命令で建立した寺院。
『府の大寺』ともいわれていた。

戒壇院
761年に観世音寺の境内に置かれた名高い寺。
平安末期作の毘廬舎那仏びるしゃなぶつ座像が最も主要な仏像であり、この仏像は国指定重要文化財となっている。

国分寺・国分尼寺
正式名称は『筑前国分寺』。
大宰府政庁からは西北方の四王寺山に連なる小さな山にある

延寿王院
安楽寺天満宮留守別当大鳥居家の参謀者が泊まる場所であった。
幕末、尊王攘夷派『三条実美さんじょうさねとみ』など朝廷を追われた5人の公卿が滞在していたこともあった。

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太宰府のゆかりの人たち 
                
坂本龍馬
尊王派の龍馬が対立する薩摩と長州の同盟が不可欠と考え、行動を起こしていたさなか訪れたのが太宰府だった。


土方久元

『三条実美』ら急進派公家にお供として太宰府を訪れていた。

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