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菅原道真公の歴史 


 『菅原道真』公は平安時代前期、豊かな学才を備え、33歳で学者としては最高の文章博士をもらい、時の天皇の厚い信頼を受けて55歳で右大臣の位に登りつめました。
 学者の家に生まれ、5歳で和歌を詠み、11歳で漢歌を創作した秀才であり、『類聚国史』の編集や『三代実録』の撰集を手掛けたことで知られ、詩人としては『菅家文章』『菅家後集』などの詩集を残しているそうです。
 また、遣唐使の廃止を建議し、日本文化興隆の礎を築いたそうです。
 57歳で従二位に任ぜられた直後、時の左大臣『藤原時平』の議言にあい、『太宰権帥』に落されてしまいました。
 藤原氏の隆盛の世にあって、菅公は有力氏族の出身ではなかったために、その異例の出世をねたまれたことが原因であるといわれているそうです。
 謹慎となった道真公は、太宰府下向の後は配所であった榎寺から一歩もでることなく、約2年後、無実の罪が晴れることなく病気になり、59歳で亡くなりました。後に時平の議言を知った朝廷は、菅公の名誉挽回に努め、正一位太政大臣を道真公に送りました。道真公は『天満大自在天神』として人々の崇高を集めるようになっていったそうです。

 

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