日本のロケット開発を支えた場所は、
当初まさに荒地だった。

「えっ、博士!? このトリビアは一体どういうことですか?」

「当初、日本のロケット開発は秋田県岩城町(現在の由利本荘市)の道川実験場という場所で主に行われておった。
ところが、ロケットがだんだんと高くまで上がるように進歩してくると
この実験場では限界が見えてきた」
「その実験場ではダメだったのはどうしてですか、博士?」

「ロケットが高く上がるということはより遠くに飛ぶということじゃ。
ご存知の通り、秋田県沿岸は日本海に面しておる。ユーラシア大陸沿岸までとの距離は最短で約600kmじゃ。
もしロケットの制御に失敗し、大陸側に墜落するようなことがあれば、国際問題の火種ともなりかねんのじゃ」
「なるほど…… それでは変更は仕方ありませんね」
「そこで1960年に新たな実験場の候補地探しが始まったのじゃ。
全国各地が調査され、最終的に現地調査が行われたのが鹿児島県大隅半島東岸、内之浦町(現在の肝付町)じゃ」


聖地 内之浦町

「この内之浦町の現地調査には実際に糸川博士が訪れておる。
そしてその糸川博士本人が見て回り、最後に適地と決めたのがこの場所、内之浦町長坪地区じゃ」
内之浦町長坪地区の建設前の風景
(c)JAXA
「……博士、見たところ山にしか見えませんけど」
「その通り、最初はただの草ぼうぼうの荒地だったのじゃ」
「ここがロケット実験場として開発され、数年後にはカッパロケット人工衛星おおすみを打ち上げる場所になったんですか……?」
「その通り。また当時の内之浦町は決して交通の便が良い所とは
言えず、東京から列車で2日半以上もかかる道のりだったのじゃ。
道路も満足に整備されていなかったから、乗り込むバスが常に揺れているという有様だったそうじゃ」
「そのような苦労を乗り越えてまで、先人たちはロケット開発に情熱を燃やしたんですね」
「もちろん彼らだけではない。当時の内之浦町全体がこの実験場を支え、応援しようという雰囲気だったのじゃ。実際に、宇宙空間観測所が起工される日の町の様子がこれじゃ」
観測所起工を祝う垂れ幕と町の様子
(c)JAXA
「垂れ幕まで下がって、ものすごく歓迎されてますね」
「何度も言うように、多くの人の応援と協力があってこその宇宙開発なんじゃぞ」
現在の内之浦宇宙空間観測所

現在の内之浦宇宙空間観測所(c)JAXA

「次のトリビアは『宇宙ゴミ』についてじゃ」
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