喜岡寺
喜岡寺の起源は829年に築かれた喜岡寺。今とは違い、本尊は観音でした。
それはやがて、廃寺になりました。しかし、1229年僧・覚行が再建。しかしそれは、戦によって書物と一緒に焼亡。そして、香花院、浄光寺など名前や、場所を変えて、続いていきました。浄光寺跡の石碑がファーマランドという近辺の建物の前に建てられています。
1335年に現在の喜岡寺の場所は喜岡城(きおかじょう)というお城になりました。南北朝時代の武将、高松頼重(よりしげ)がそのお城を築きました。このお城は別名「高松城」といい、それが古高松の地名の起源なのかもしれません。
しかし、このお城は2回も落城しています。1335年11月に、足利尊氏(室町幕府を開いた人)の家臣、細川定禅に攻められ落城。落城というものの、城の建設中に攻められたようで、一族郎党、頼重以外は皆、亡くなりました。
1585年には豊臣秀吉(天下統一を成し遂げた人)の家臣(黒田官兵衛など)によって四国平定で落城しました。戦った有名な兵士の唐渡弾正、片山志摩、高松頼邑の墓が三将墓として今も喜岡時の中にあります。
2度目に落城したのは1585年、その9年後の1594年にその地に今の喜岡寺が築かれました。現在の本尊は不動明王です。
現在は、毎年秋に、喜岡寺でお茶会が開かれていて、地域の暮らしにもかかわっています。
喜岡寺を歌った短歌が残されています。
なる鐘の ひびき渡るか 梓弓 屋島に近き 岡の古寺 山崎 宗矩
忠魂社は喜岡城での戦いと、今までの大戦中に亡くなった方を供養するための、墓地のようなものです。そのなかには、喜岡城についての石碑もあります。これは昔の喜岡寺の住職が建てたものです。
春には毎年、戦没者の慰霊祭が開かれています。喜岡城と大戦の2つの歴史に触れられるので、たくさんのことを学べる史跡です。JR屋島駅の近くにあるのでアクセスもいいのも特徴です。近くには源平合戦にまつわる史跡も多く残されています。
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