しめ縄とは

 お正月になると玄関や軒先に飾られるしめ縄。なんとなく縁起のよさそうな雰囲気はあるものの、意味を知らずに本当に「なんとなく」の理由で飾っているお宅も多いのではないでしょうか。


意味もわからず飾ってしまうしめ縄

 各家庭に飾られているしめ縄は、神社などで見かけるしめ縄よりも彩り豊かで、なんとなく"めでたい"印象を覚えます。だから意味など知らなくても、ついつい飾ってしまうのでしょう。
    
しめ縄とは神様の宿る場所を意味する

 神社神道では、一般的に、しめ縄は神域と現世を隔てる境界・結界としての役割を帯びています。しめ縄で囲まれた場所や物は神域であり、神様の宿る場所や物であることを意味しています。しめ縄が張られた岩は神様の宿る岩という意味を表現していて、その岩が神様そのものです。
しめ縄の意味

 しめ縄を漢字で書くと「注連縄」となります。注連縄の"注連(しめ)"とは、場所と場所の境界を分けて立ち入りを禁じる標示を意味していて、「注連縄」とはそういった場所を意味しています。
    
しめ縄の由来と歴史

 しめ縄は神域を標示していますが、その起源や由来はどこにあるのでしょうか。その由来や歴史をたどっていくと、いくつかの説が出てきます。ここではその「しめ縄のルーツ」を紹介します。

百人一首の世界
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日本神話がしめ縄の起源とする説

古事記や日本書紀にある日本神話の
「天岩戸(あまのいわと)」伝説がしめ縄のルーツだとする説があります。天岩戸から天照大神(アマテラスオオミカミ)が出てきた際に、太玉命(フトダマ)が天岩戸をしめ縄で塞いだとされる説です。しかし神域を意味するしめ縄で岩戸を封印したというのも疑問がないではありません。しめ縄が神域を意味するのであれば、神である天照大神ならば出入りできるのではないでしょうか。
    
しめ縄の処分方法

 しめ縄に限らず、お正月の縁起物は1月15日の小正月(こしょうがつ)に行われる「どんど焼き」という行事で処分するのが一般的です。神道的にはどんど焼きには無病息災を祈る意味があるそうですが、今となっては風習のようなもので宗教的意味合いはほとんどないようです。正式には「左義長(さぎちょう)と呼ばれる「どんど焼き」。「どんど」とは「歳徳(としとく、とんど)」を意味していて、歳徳神を祭る意味があるそうです。忙しくて「どんど焼き」に参加する時間もとれない、といった場合には、ちょっと気が引けますが、紙などに包んで地方自治体の定めるゴミ処分方法に従って処理することになります。(敬謙な気持ちさえあれば、神様も見逃してくれるでしょう。

百人一首の世界
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お正月のしめ縄をはずす時期

 しめ縄の歴史や意味も気になりますが、しめ縄でもっとも気になるのが「外す時期」や「処分方法」です。お正月に飾ったしめ縄・しめ飾りはどのようにして片付ければよいのでしょうか。
 しめ縄は門松とセット扱いのようで、しめ縄を飾る時期・外す時期も同様です。しめ縄や門松を外す時期は「松の内」と呼ばれる1月7日までだそうです。しかし地域によっては「松の内」が1月15日まであり、そういった地域では15日まで飾っているそうです。また、地方によっては(私たちの伊勢地方のように)、一年中玄関先に飾っているところもあります。
    
伊勢地方のしめ縄について

 私たちが疑問を持った伊勢地方のしめ縄のことについて、もう少し深く調べてみました。「蘇民将来子孫の家」の木札のこと、なぜ、一年中飾っておくのか、玄関飾りの門松右と左の違いについてです。
   
   
    <蘇民将来の護符>     <左右の門松>

    <左が綯え始めのしめ縄>
蘇民将来のこと
 「蘇民(そみん)将来子孫」の札についてです。
 
スサノオノミコトが、姉の天照大神に会うための南海への旅の途中、蘇民将来・巨旦(こたん)将来という名前の二人の兄弟のいる地に立ち寄り、そこで、ミコトは一晩泊めてくれるよう二人に頼みました。弟の巨旦はとても裕福だったのですが、断りました。兄の蘇民は貧しかったのですが、親切にミコトを泊めてあげました。スサノオノミコトは喜び、蘇民に「今後、この地に悪い病気が流行ったときには、蘇民将来の子孫であると言い、茅輪(ちのわ)<茅(かや)や藁(わら)を束ねて作った大きな輪>を腰に着けなさい。そうすれば病気を免がれるでしょう」と言って、その地を立ち去った。 という言い伝えがあります。こうしたことから、現在でも札に蘇民将来子孫と書いた注連縄を飾り、家の中に邪霊が入るのを防ぐ呪符の意味を持たせているようです。以来、蘇民家は茅の輪のおかげで、疫病が流行ってもその災いから免れ代々栄えました。そして、いつの頃からか伊勢地方では、注連縄に魔除けとして 「蘇民将来子孫家門」 の札を下げるようになったと言われています。「蘇民の森」は現在の伊勢市二見町にあったそうです。
    
しめ縄の左右・門松の左右の違い
 門松については、左は雄松(つぼき1つ)、右は雌松(つぼき2つ)といって、夫婦円満を願って飾ります。榊(さかき)は太陽の恵みを家に入れることを願っています。
 しめ縄の綯(な)え方は、基本的には「左綯え」です。これは、左を聖、右を俗とする風習から来ており、神様との境界を表す「しめ縄」は聖の方になっています。(出雲大社は特別な存在として例外だそうです。)
 しめ縄の綯え始め(つまり太い方)はどちらかというとこれも右側(神様から向かって左)が一般的です。しかし、伊勢地方、出雲大社は逆で左が太くなっています。これも「天照大神が祀られている伊勢神宮や、出雲大社は特別である」とか、「左が男性の神様、右が女性の神様」という言い伝えで考えると考えると天照大神は女性だからだとも言えるのではないかと思われます。
伊勢地方で一年中、しめ縄を飾るのはどうして?
 上記の「蘇民将来」の故事にならい、今でも広く伊勢志摩地方では災難除けにこの護符(木札)を付けたしめ縄を、年末に氏神の「松下社」から授かって、門口に一年中掲げているからです。
      

       (一年中門口に飾られているしめ縄)



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