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戦国~安土桃山時代の貨幣歴史

群雄割拠の時代

室町幕府の権威が衰え、各地で力をつけた戦国大名と呼ばれる人たちが日本各地を分割統治していた時代、戦国大名は領地の拡大、最終的には天下統一を目指して戦いを繰り広げていました。戦いを多く行うために必要なのは多くの人と多くのお金です。そこで、戦国大名たちはお金を集めるために、独自の貨幣制度を設けたり経済政策を実施したりしていました。その中でも有名なのが武田信玄による貨幣制度と、織田信長による楽市楽座および関所の廃止です。

武田信玄の貨幣制度

武田信玄の支配していた甲斐国には甲斐金山とよばれる巨大な金山がありました。これをもとに甲州金と呼ばれる金貨をつくり、計数制度、すなわち、額面に記載された数字によって金貨の価値が変わる制度を導入しました。ここでは1両=4分=16朱=64糸目という単位が用いられた、四進法が採用されていました。

楽市楽座

当時、日本の経済は問丸株仲間と呼ばれる同業者組合によって支配されていました。すなわち、その組合に入っているお店のみで、その分野が独占されている状況でした。そのため、新規のお店ができづらかったり、価格設定が高めになったりするなどの問題点がありました。

株仲間の廃止

そこで織田信長が行ったのが、楽市楽座という制度です。これは、彼の城下町で、これらの組合を廃止することで、新規参入を行いやすく、また、市場の独占が行われないようにしました。同時に関所の廃止も行いました。当時、日本の国境には関所と呼ばれる税金を取る施設がもうけられていました。それの廃止を行うことで、国と国との間での承認の行き来をしやすくし、さらに経済を活性化させました。

座と関所の廃止
まとめ

武田信玄は領土内にあった金山を生かし、独自の貨幣制度を確立した
織田信長楽市楽座関所の廃止を行い、経済を活発にした

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