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中世の貨幣歴史

奈良時代の貨幣歴史

奈良時代以後、日本ではしばらくの間米やを中心として経済が回っていました。 例えば奈良時代、税金は租庸調制というシステムで成り立っていました。租はコメの収穫の3%、庸は労役もしくは、調は特産物を収めるもので、すべて物で支払われていたことがわかります。このように、貨幣の普及していない奈良時代に比べ、平安時代はある程度貨幣が普及したといえます。

平家の時代の貨幣歴史

平安時代に力を持った平清盛は、日宋貿易による莫大な利益をもとに時代を築きましたが、この貿易で大量に輸入されていたのが、宋のお金、宋銭です。当時の日本では、平家が財力の基盤とするために、宋銭が畿内を中心に流通していました。しかし、 朝廷で貨幣の役割を持っていたのは主にだったため、これも一つの原因となって平家と朝廷の対立につながっていきます。

鎌倉時代の貨幣歴史

平家滅亡後、鎌倉時代には宋銭が貨幣として利用されることが認められます。また、御家人の債務状況が悪化すると、借金を帳消しにする徳政令が幕府より出されるようになります。室町時代、中国が明の時代になると、勘合貿易によって永楽通宝を中心とする明銭(明のお金)が日本に入ってきます。これらも畿内を中心に流通され、戦国時代に制定されていく貨幣制度の基盤になります。この明銭は江戸時代初期まで流通していたといわれます。またこの時代には東国を中心に税金をものではなく代わりに銭で納める代銭納が普及します。

代銭納
まとめ

奈良時代や平安時代は米や布などのが支払いに使われていた
平安時代、朝廷ではを貨幣として使っていた。ここに平家が宋銭を導入し、これが対立に繋がった
鎌倉時代から宋銭などの中国の硬貨を使うことが認められ、税の支払いにも硬貨が使われるようになった

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