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江戸時代の貨幣改鋳

江戸時代、金貨には一両」という額面価値が付与されていましたが、実際には江戸時代の中期までは含有される金の量によって金の価値が上下していました。そのため、質の悪い金貨と銀貨を交換する際には、増歩と呼ばれるプレミアムが付加されている場合もありました。つまり、秤量貨幣として利用されていたのです。しかし幕府は金の不足のため、若しくは財源を補うために金の質を落としたり上げたりしました。これを改鋳(かいちゅう)といいます。

江戸時代の実際の改鋳

江戸時代には8回にわたって改鋳が行われました。本稿では、その個々の事例を紹介します。

  • 元禄の改鋳

  • 貨幣に関して法制が敷かれた、慶長幣制の制定から約1世紀後の元禄8年幕府は新規貨幣の発行を実施します。

    慶長~元禄期間に際しては、米遣いの経済から金遣いの経済へと大きく変貌を遂げた時期でした。元禄年間以前の寛文年間にかけては特に、寛永通宝の大量鋳造や、両替商の代表的存在十人両替の成立から、大きく貨幣が広まっていることがわかります。さらには井原西鶴の日本永代蔵などのような、社会における貨幣の広まりが描かれた作品が数多く刊行されており、そこからも貨幣の普及を知ることができます。さて、このように貨幣社会が普及・発展していった中で行われたのがこの元禄の改鋳だったのですが、その原因とは何なのでしょうか。

    改鋳のきっかけとなったのは、寛文期の金座による建議でした。当時、日本全体において、金の生産量が落ち込んでいました。当時、金座では分一金と呼ばれる報酬、すなわち、作った金貨の量、鋳造量に比例する形で報酬が支払われていました。そんな中、金の産出量が落ち込んだことで、金座では収入が減少、これを打破するために、金の質を下げる改鋳を幕府に願い出たのです。しかし、この建議は、当時幕府があまり財政的に困窮していなかったためもあり、却下されてしまいます。しかし元禄期になると、いよいよ幕府の財政がひっ迫してきます。そこで、寛文年間の金座による建議を採用する形で行われたのが、元禄の改鋳でした。元禄小判の品位は、慶長小判の84.29%とくらべて、57.36%と、三割以上減少しています。 この改鋳は、結果的には経済の混乱も発生せず、幕府の収入も増えました。そのうえ、庶民の所得を実質的に上昇させたため、優れたリフレ効果(緩やかなインフレ)を発揮したと考えられています。

  • 宝永の改鋳

  • 宝永期になると「元禄貨幣の質が悪く、破損しやすい」との建前で、慶長年間と同質の金貨が発行されます。またこの改鋳に際して、幕府は金貨の重量も半分にしました。この際、前回の改鋳からわずか15年と短い期間で改鋳を行ったために幕府の財政は大きく増えましたが、米の価格が前年比81%になるなど、大規模なインフレが発生経済が混乱しました

  • 正徳・享保の改革

  • 元禄、宝永の改鋳によって、物価が上昇したために、金銀の品位を慶長期に戻し、物価を安定させるために、そして新井白石の貨幣観「貨幣の品位は家康時代問同じであるべき」という思想の下で行われた改鋳でした。結果、江戸時代で初めてのデフレ、年2%の物価減少をもたらしました。

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  • 元文の改鋳

  • 金銀貨幣が不足し、通用に不自由であることを理由として行われたのが元文の改鋳です。この改鋳によって、貨幣の重量、品位ともに約25%低下しました。結果、金貨一枚に含有される金の量は正徳・享保時のものと比べて半減しました。また、実際にはこの改鋳はデフレ対策を意識しており、それまでの安直な理由による改鋳ではなく、はじめて事前に意図をした改鋳であったといえます。またこの政策は、改鋳直後には物価上昇をもたらしたものの、貨幣が増えたことで、その後の市場発展により、結果的には物価の低下をもたらしたともいわれています。

  • 文政の改鋳

  • 元文の改鋳により、米価は一石一両で安定していました。そんな中で行われた文政の改革は幕末に向けて、貨幣数量が爆発的に増えていく先駆でした。この改鋳により、貨幣流通量は40%もの増量を見せ、その影響により、これ以降、長期的な物価上昇が続きました。この改鋳の目的として、貨幣の質が悪化したことが挙げられていますが、実際には11代将軍家茂の多大なる支出を賄うためでした。

  • 天保の改鋳

  • 天保期には、様々な貨幣が短期間のうちに効率よく改鋳されました。この改鋳は単なる物価上昇だけでなく、長期的なインフレを引き起こしたとする説がありますが、それに対し、当時の幕府の経済力で、そこまで影響を与えられたのか疑問視する学者も存在します。

  • 安政・万延の改鋳

  • この改鋳は、幕末の開港と、それによる金銀比価による日本からの大量の金流出を防ぐために行われました。

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まとめ

幕府は金不足の対策や資源を補うために金の質を上げたり落としたりした
金の質を上下させることを改鋳といい、8回行われた

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