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明治時代の貨幣システム

明治の貨幣制度

大政奉還後、1871年に新貨条例が制定され、の三種類を用いた貨幣制度がスタートし、欧米に倣った金、銀、銅を用いた貨幣が発行されます。この条例により、金1.5gを1円とする金本位制が採用され、1円=100銭=1000厘とするように取り決められました。しかし、政府の用意した金銀の量が少なかったため、実質的には不換貨幣でした。その翌年の1872年、政府は国立銀行条例を制定しました。この国立銀行は日本各地に設立され、それぞれ独自に貨幣を発行していました。はじめは兌換紙幣として発行されていましたが、条例改正により、事実上の不換貨幣となりました。また、西南戦争時には不足したお金を紙幣の増刷で賄ったため、市場が混乱、米価は2倍以上に跳ね上がりました。

1881年、松方正義が大蔵大臣に就任します。彼は、不換貨幣の過剰な発行が貨幣価値の下落につながったと考え、不換貨幣の整理を断行します。また、1882年には兌換制度を確立し、近代的な貨幣制度を確立させるために日本銀行を設立します。日本銀行が発行する貨幣を日本銀行券といいますが、最初のそれは、大黒天の絵が記された拾円札でした。これは日本銀行の開業から二年後に発行されたものです。また、松方大蔵大臣は欧米に倣って金本位制の成立を目指していましたが、日本の蓄積していた正貨が銀であったため、銀本位制を導入します。日本銀行券は非常に円滑に市場に流通したので、国立銀行紙幣と政府紙幣は1899年に通用が停止されます。

欧米先進国は、19世紀に銀本位制から金本位制に続々と移行していきます。そこで日本も1897年に金0.75g=1円とする貨幣法を導入し、日清戦争の賠償金をもとに、金本位制を確立させます。 こうして先進各国に導入された金本位制ですが、その歴史は長くは続きませんでした。1929年のニューヨーク株価大暴落をきっかけとする世界恐慌により、1931年にイギリスが金本位制の廃止に追い込まれると、日本も同年、金本位制を廃止します。こうして、現在の管理通貨制が導入されるのです。

金本位制・銀本位制

金(銀)本位制とは、政府の発行する貨幣が、額面に記載されている量の金貨と交換できる交換チケットの役割を持つシステムのことです。交換チケットの役割を持たせることで、貨幣の信用度を高めていました。

円の形
まとめ

明治時代、新貨条例によりの3種類を用いた貨幣システムがスタートした

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