概要 ページの先頭へ |
総合的な学習の時間とは、生きる力をつちかう時間です。
総合的な学習の時間の内容 ページの先頭へ |
総合的な学習の時間とは、地域や学校、児童生徒の実態などにあわせて、学際的・総合的な勉強や児童生徒の興味事項、関心事象などに基づく勉強などの、アイディアを生かした、それぞれの学校独自の教育活動を行うということです。
また、総合的な学習の時間のねらいとしては、これまでは、授業は知識を教えるものでしたが、自分で課題を見付け、自分から学び、自分で考え、自分が主体的に判断し、問題をどう解決するかという資質や能力を育て、学習方法、追求方法、ものの見方、考え方を身に付ける事で、問題を解決したり、追求活動に主体的、創造的に取り組むように教え、その中で自分とは何か、自分はこれからどう生きるのかを考えることができるようにします。
総合的な学習の時間の具体的内容 ページの先頭へ |
まず、総合的な学習の時間において、教師は、子ども達と一緒にテーマを見つける必要があります。それは、新学習指導要領にあるように、例えば、現代的課題としての国際理解、情報、環境、福祉、健康などの横断的・総合的な課題や児童・生徒の興味・関心に基づく課題、また、地域や学校の特色に応じた課題などがあげられます。それは、各学校にまかされているのです。
もし、国際理解に関する活動という単元を設定すれば、それに基づいて、生徒は自分自身で、調べる課題を見つけます。例えば、ある国の生活や文化について調べたり、ある国と、日本のかかわりを調べるために、身近な品物の輸入先、近くの工場の品物の輸出先を調べたり、政治や歴史を調べたりなど、多角的に、一人一人の個性にしたがってテーマを設定します。そして、書物や視聴覚教材、インターネット、身近な外国人へのインタビューなどを駆使して調べ、まとめる。教師は、児童生徒が、彼らだけではできないことを助ける。インターネットなどの、情報活用の仕方などをこの時に教えることができる。
これは、あくまでも一例で「地域や学校の特色」に応じた課題をテーマにして、地元の産業、地元の水、ため池、米作り、農村歌舞伎などを探求するなど、さまざまな学習活動が考えられる。
「学力」はつくのか ページの先頭へ |
まず、学力とは何かということになります。これまでは、「知識」を重視していました。しかし、新学力観では生きる力、つまり「知恵」を重視するようになりました。つまり、確かにある程度の量的な知識は失われる可能性もあります。しかし、逆に知恵は、総合的な学習の時間によって身につくでしょう。ペーパーテストで測れる物が、基礎学力とは考えないということです。それに、意味の薄いところを減らす代わりに重要な所の反復で学力を落とさないようにします。
その上、生きる力を手に入れるということは、自分で学べるということです。この力があれば、一生涯学びつづけるだけではなく、今までの「先生に言われたから」「テストに出るから」的な押しつけ学習ではなく、主体的に「知りたい」を重視する学習になります。これにより、記憶の定着率が上がるだけではなく、その知識が実用的な知恵となります。ですから、そう考えることで、生きる力がつくことは、学力がつくということでしょう。
確かに、学力低下の批判はあります。しかし、生きる力をつけた子供達が大人になるまでの間だけでも、この試みは行われる価値があると思います。
学校は変わるのか ページの先頭へ |
今までは、学校というものは、同じ「検定済」教科書を元に、同じ内容を全国一律、画一的に教えるという役割を果たしていました。これにより、ある程度の学力はついたことは、事実でしょう。しかし、今、その裏面としての、学力低下、生徒、教師の意欲の低下などが起こっています。これを変えるために、総合的な学習の時間では、学校毎に異なる授業をしても良いとしました。これと、広域学区制度の併用により、「学校を生徒、親、市民が選べる時代」がきます。学校側が、よりいっそう独自色を出すためにも、総合的な学習の時間は目玉となることでしょう。
結局テーマを出したり、助言をするのは先生です。自分でアイディアを出し、それについて助言できるような、今までよりも広範囲な教材研究も必要となるでしょう。先生、学校が変わらなければ、定員割れなどもありえることでしょう。教員の意識改革とそれを高める研修を行った学校がこれからの21世紀的な学校となるでしょう。つまり、学校は変わるのです。しかし、最も大切な社会の意識改革を行わない限り、学校がいくら変えても、孤高の感は否めないでしょう。社会も変わることを求められているのです。
提案 ページの先頭へ |
大鐸小学校の実践参照
山形大学教育学部附属中学校の実践参照
ポートフォリオ評価参照
教科書作り参照
ホームページ作成参照
参考ホームページ、その他 |