イタイイタイ病
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18世紀 神岡鉱山で銅、鉛の産出開始 1874年 三井組が神岡鉱山の採掘を開始 1905年 神岡鉱山で亜鉛鉱石の採掘がはじまる 1922年 このころ、イタイイタイ病が発生する 1941年 岡山大学の小林教授(当時の農林省の技師)
が神通川流域の農業芋と被害について調査1946年 地元の開業医萩野医師がイタイイタイ病の原因
究明の研究をはじめる1957年 萩野医師、富山県医学会で鉱毒原因説 1960年 小林教授がイタイイタイ病で死亡した患者の体
からカドミウムを検出する1961年 萩野医師と小林教授がイタイイタイ病の原因は
三井金属鉱業神岡鉱業所のカドミウムであると
発表する1968年 患者たちが三井金属鉱業を提訴する。その
直後、厚生省はカドミウム原因説を認める1971年 患者側が一審勝訴する 1972年 患者側が二審勝訴する
富山県の神通川の中流域で発生したイタイイタイ病はカドミウムという、重金属によって引き起こされる骨の病気です。骨が柔らかくなって、体のあちこちで骨折し患者がいつも痛い痛いっと叫ぶので、この名が付けられました。1920年代から発生していたと考えられますが、イタイイタイ病として注目されるようになったのは、1950年代の頃からです。
カドミウムの汚染源は神通川上流の岐阜県神岡町にある三井金属鉱業神岡鉱業所でした。神岡鉱業所は亜鉛を製錬したあとにでるカドミウムを含んだ排水をそのまま神通川にながしていました。神通川の中流域では川の水をかんがい用水や飲料水として使っていたので、カドミウムが農作物や飲み水を通して体内に蓄積されていき、イタイイタイ病を引き起こしたのです。しかし、当時カドミウムという物質は良く知られていなかったために、原因究明は大変遅れてしまいました。地元の開業医らの努力によって、カドミウムが原因物質であることがつきとめられるまでには、長い年月がかかりました。
〜カドミウムについて〜
カドミウムは、亜鉛の鉱石に必ず含まれている重金属です。今ではカドミウムは鉄製品のメッキや電池に広く使われ、利用価値が高くなったので、捨てられることはありません。しかし、イタイイタイ病が注目され出した頃は、ほとんど知られていない物質でした。
神岡工場所は、亜鉛を製錬する時に出る排水に、カドミウムが含まれているという事も知らずに、川に流していたのです。また、カドミウムを検出する科学的な方法も知られていませんでした。
三井金属鉱業の対応に不満をもった被害者たちは、1968(昭和43)年、損害賠償を請求して訴訟を起こしました。その直後、国はついにイタイイタイ病の原因が神岡鉱山のカドミウムであることを認め、裁判も1971年に原告の勝訴となりました。これは、四大公害裁判のなかで1番最初に出た判決で、日本中の公害に苦しむ被害者への大きな力をあたえました。
カドミウムに汚染された農地を復元する作業も、鉱業所が工事費の35〜39%を負担して、1980年からはじまりました。