〜 アフリカ系アメリカ人の歴史(Page 2)

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V. アメリカ独立戦争

A. 黒人の戦争への参加
  イギリスがインディアン・フレンチ戦争(1754-1763)でフランスに勝つと、イギリスはアメリカ大陸の植民地支配を厳しくしていった。まず、税金が増やされ、印紙税・茶税などの新税も導入された。また、植民地の貿易をコントロールしようとし、また、駐在イギリス軍にかかる資金を植民地の人々に払わせようとした。植民地に住む人々は彼らの代表がイギリス議会の中にいないことに疑問を感じ、イギリスが植民地に自由を認めようとしないと感じた。また、彼らは重い税に対して怒りを覚えていた。重税とイギリス本国からの束縛された生活がアメリカ独立戦争を引き起こすことになった。

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BY THE WAY 〜フレンチ・インディアン戦争とその後の世界の動き〜
 フレンチ・インディアン戦争とは、北アメリカの支配をめぐり、1754〜63年にイギリスとフランスが先住民(インディアン)や植民地人を巻き込んで起こった植民地戦争のことだ。1689〜1763年には他にもイギリスとフランスは植民地戦争を起こしていたが同戦争が最後になった。イギリスの勝利により、フランスは北アメリカから排除され、一連の戦いに終止符がうたれた。1763年に結ばれたパリ条約によって、フランスは北アメリカの全領土をうしなった。この戦争によって、カナダとミシシッピ川以東すべてのイギリスの支配が決定的となり、この戦争は北アメリカ史上、アメリカ独立革命や南北戦争にも匹敵する重要なものとなった。

 しかし、イギリスは戦争により財政的に苦しくなった。また統治できる以上の広大すぎる領土を手にしてしまった。結局、独立戦争が起こり、イギリスの植民地は独立国となってしまった。

 対して、フランスは敗北への復讐機会を待っていた。アメリカの独立時(1775〜83)には植民地軍を支援し、間接的にイギリスに対抗した。しかし、フランス王室には負担しきれないほどの費用がかかり、財政危機を助長して、最終的には1789年のフランス革命をまねいた。

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 植民地人は、黒人・白人に関係することなく、イギリス本国の厳しい統制に対して戦うことになった。1765年の印紙条例や植民地に対する様々な規制に対しては人種の枠を超えて反対の姿勢と取った。印紙条例とは印紙条例新聞・本などに印紙とよばれるイギリス王室公認を示す紙をつけることを強制する法律である。
 
 アメリカ独立時には、多くの黒人がアメリカ独立宣言に刺激を受け、自由を意識するようになっていった。そして多くの黒人が独立戦争に参加した。イギリス軍と植民地軍は共に黒人を軍隊に入れて戦った。ジョージ・ワシントンもアフリカ系アメリカ人を新兵として軍隊に入隊させた。多くの奴隷身分だった黒人は戦争に参加する代わりに自由身分を保証された。自由を求めたアフリカ系アメリカ人はイギリス軍と植民地軍の両側について戦った。その結果、自由身分の黒人の数は、約60000人に急増した。

関連資料1 → ”Declaration of Independence” (アメリカ独立宣言 + 一部訳 + 解説)

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B. 独立戦争の理想と奴隷の現実状況
 アメリカ独立宣言やアメリカ合衆国憲法に影響を与えた「自由」の考え方と「奴隷制度」は全く反対の考え方である。

  アメリカ独立の理想は「自由の国であるアメリカ」と「奴隷制度」が相容れないものであるという考えを少しずつ広げていくことになった。「すべての人々は平等に生まれた(all men are created equal)」などの独立宣言の一語一句は白人・黒人を問わず奴隷制度への意識を変えていった。アメリカ独立革命、フランス革命(1789〜99)などにあらわれた自由の理念やキリスト教的理想主義などは確実にアフリカ系アメリカ人の考え方に影響を与えた。

 1777年、バーモント州に始まり、次々にアメリカ北部の州は奴隷制を廃止していった。1820年代には奴隷制を採用する州はアメリカ南部諸州だけであった。
 しかし、結論として、アメリカ独立戦争によって全州で奴隷制度を終わることはなかった。

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C. 黒人奴隷を必要とするアメリカ南部の経済
 奴隷貿易は1808年まで続き、アメリカ合衆国の経済には奴隷が必要不可欠になっていた。特に、合衆国南部の州に奴隷が集中していた。農業を中心に発展した南部経済はワタ栽培が重要だったのだ。大規模な綿農場は多くの黒人奴隷が使用されていた。1790年代に発明された綿繰り機が導入され、18世紀を通じてワタ栽培が南部と南西部に広まるにつれて、奴隷労働を前提とする南部の体制は発展していった。1860年までには、アメリカ合衆国の経済は南部が生産するワタに大きく依存するようになり、ワタはアメリカ合衆国の主な輸出品になっていた。

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W. 自由黒人への差別
 アメリカ独立戦争後も、アフリカ系アメリカ人に対する多くの偏見と差別が存在した。教育機関から締め出され、住居・耕作地を制限され、貿易活動を禁止された。また、選挙に行くことも許されず、陪審員として裁判に関わることもできなかった。黒人というだけで、仕事を得ることも制限され、貧困に苦しむようになった。自由身分の黒人は、召使い、メイド、料理人という仕事に就くようになった。自由身分の黒人は奴隷制に対して疑問を抱き、公然とされていた人種差別に怒りを覚えるようになった。