I. 奴隷貿易によって「商品」としてアメリカ大陸に運ばれた黒人
1500年頃、黒人奴隷はポルトガルの貿易商人によって農業のための労働力として取引されるようになった。
1860年までには1000万余りの人々がアフリカ大陸から南北アメリカ大陸に送られた。彼らはカリブ海の島々、ブラジル、スペイン領地の南アメリカ、そして北アメリカに送還され奴隷として働かされたのだ。現在のガーナ、ナイジェリア、トーゴ、セネガル、ガンビアなどの地域から黒人を仕入れてきていた。2・3ヶ月の大西洋上の航海後にアメリカ大陸上で商品として取引された。
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イギリス植民地時代の黒人奴隷
北アメリカのイギリス植民地に運び込まれた黒人の優れた稲作・牧畜・治水の能力が植民地時代の大陸開拓に役にたった。例えば、北アメリカ南部のメリーランド・バージニア・ノースカロライナでは米を、サウスカロライナ・ジョージアではインディゴ(藍)の栽培に黒人の技術が生かされた。この他にも、家庭での使用人、会計人、音楽教師、鍛冶職人、大工など様々な職業をこなした。
BY THE WAY 〜 「奴隷」と同じく「移民」も苦しかった
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知っていただろうか。奴隷のように自由を束縛されて働かされていたのは黒人だけではないのだ。貧しいヨーロッパ人や一部のアフリカ系アメリカ人は年季奉公人として自由を束縛され重労働をさせられた。奴隷と奉公人の違いは、前者が本人の意思に関係せず労働を搾取され奴隷の子供も奴隷かさせられるのに対して、後者は自主的に奉公先と契約を結び7年程の契約期間を終了すると自由身分になることができることだ。例えば、貧しいヨーロッパ人はアメリカ大陸に船で移住することに引き換えに契約を結び、移住後に奉公人として働くことを選んだ。そして契約期間が過ぎると、土地と衣服をもらい自由の身となった。