メディチ家

ジョバンニ

コジモ

ピエロ

ロレンツォ

ジュリアーノ

ジョバンニ
(レオ10世)

ジュリオ
(クレメンス7世)

 

ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ
(Piero di Cosimo de' Medici)(1416年 - 1469年)

通風病みのピエロ

 コジモが死んだ後、メディチ家は長男のピエロが引き継ぐことになりました。ピエロの代になっても、メディチ家は反対派との争いに巻き込まれ、決して穏やかな生活ではありませんでした。
 ピエロは、名門トルナヴォー二家の女性の詩人ルクレツィアを妻として迎えます。しかし銀行経営がうまくいかず、長期にわたって低落し続けました。こうして政治・経済的には存在感が薄れていくようになりました。しかし、コジモの継承者として、パトロン、コレクターとしてのピエロの活動は 15世紀のフィレンツェにおいて重要な役割を果たしました。
 また、ピエロも銀行経営を基盤とし、ブルジョアジー(裕福な商人)のほこりをもって貴族のようになろうとはしませんでした。コジモの時代との違いは宮廷文化を強めたことです。長男ロレンツォの嫁にローマ貴族との結婚を進めたことなど、 自動的に貴族化が進んでいったともいえます。
 1469年、ピエロは短い生涯を閉じました。

Copyright (C) 2006-2007 Information Design Team. All Rights Reserved.ThinkQuest@JAPAN2007