JALT第46回年次国際大会教材展示会でプレゼンテーションスキルのセッションをされた、教育科学技術者のラブ・パターソンさんにお話を伺いました。
16歳で高校を卒業しましたが父を亡くしていたため大学に行けず船大工になりました。テロの支援や薬物売買が行われていた過酷な現場で働いた後、大学で1年エンジニアリングを学びましたが退屈で翌年はスポーツ教育に変更しました。しかし、それにも興味が失せアルバイトをしていましたが世界を知りたいと思い英語教師育成プログラムに参加し、日本や韓国、インドで英語を教えていました。そこでアジアについて詳しく知らないと感じ再び大学に通い、アジア太平洋の研究を修士まで続けました。しかし、次第につまらなくなってところでテクノロジーや言語教育の方を研究しました。
先生が教えるというのは、プレゼンテーションをやることと同じです。教えてもらったことがないので、私も最初はひどいものでした。当時は上智大学で働いていましたが、その後ICUで教えることになり、数百人に対し教授が講義を行うということでした。私が授業で大切にしていることは「改善」なので、生徒がコースの終わりに書くリフレクションレポートを全て読んだところ、「講義は面白いがスライドを変えるタイミングが速すぎて書いてあることをメモできない」という意見が多かったんです。つまり、生徒は講義を聞いていたというよりはスライドを読んでいたということです。プレゼンテーションは「聴く」ものだと改めて気づいたことから、他にも変える部分があるだろうかと、とにかくリサーチをしていくうちに、プレゼンテーションが上達しました。しかし、多くの教授はそれを知らないので、どうしても文字が少ないために評価を下げられる生徒がいました。
私は、講義を聞かない生徒より、つまらない話し方をする教授に問題があると思っています。もちろん、これは教授に限らず他の職業でも言えることなので、プレゼンテーションスキルは必要です。理想は講義型から参加型の授業で学習した内容をプレゼンテーションで発表することですが、練習やフィードバックのことを考えると時間が足りないのでクラスは少人数が望ましいです。
はい。よく、プレゼンテーションをやる前に何を話すかを具体的に紙で説明して欲しいと言われます。私は、サプライズにすることでインパクトを与え記憶を定着させる方がいいと思うのですが、日本人は「根回し」する傾向があります。また、原稿を渡して欲しいと言われますが、そもそも私は原稿は書きません。読み上げると抑揚がなく、聞いていてつまらないからです。一応要約やあらすじは送るのですが、それ以上の情報を求めてきます。
なぜリンク共有しないのか疑問に思います。日本は紙への執着が強いですね。 ライブのプレゼンテーションは発表を聴くことが大前提なので、スライドに載せるものはキーワードとそれに対応する画像のみです。もしライブで聞けなかった人がいたら、別で必要な情報をのせたスライドを作って送るのがベストだと思います。しかし、両方作るのには時間がかかるので、それならスクリーンレコーディングでスライドを映し、音声を入れてアップロードするといいです。わざわざ紙に印刷する必要はありません。
そもそも、私はテストで成績をつけるのはどうかと思います。テストは、試験が行われる短期間でどれだけ記憶できたかを試すものです。その日に体調を崩したり不幸が起きて精神的に不安定だと、記憶は正常な状態ではありません。それなら、スパンが長いプロジェクトやレポート、エッセイで評価したほうが良いのではないでしょうか?どれほどの情報を覚えられるかより、プレゼンテーションやウェブサイトなど、色々なメディアで何を学んだかをアウトプットする方が妥当な評価方法だと考えます。ただし、数学は除きます。
もしテストという形態が避けられないとしても、紙である必要性はありません。インターネットで調べたら答えがすぐに出てくるような問題を出題しない前提で、パソコンで行えば良いのです。例えば、「歴史上のある戦争が起きた原因は何か」という複雑な問題は諸説ありますよね。従って、生徒は学習した内容を発展させて自分の考えと根拠を示さなければなりません。つまり教科書の知識だけでは足りないので、そのトピックについてリサーチしますが、どのソースを正しいとするかという批判的思考能力が試されます。予備知識を必要とする点では、これも立派な暗記テストではないでしょうか?
授業で教科書を読むことにも疑問を感じます。読むことは家でもできますよね?せっかくクラスメイトがいる場なので、読んだテキストについてディスカッションをするのが有意義な授業になると思います。
先ほど言った詳しい説明が載っているスライドと、アジェンダなら大丈夫です。むしろ、ディスレクシアの人は長文より箇条書きの方が読みやすいです。ルールは必ず従わなければいけないわけではありません。正当な理由があれば違うことをしてもいいのです。「ルールを破るにはルールを理解しろ」ブルース・リーの言葉です。
自分の頭の中にあるアイディアを、多くの人にシェアすることです。相手がつまらないと感じて聞く気をなくしたら、その目的は達成できません。相手の記憶に残るようにするためには、プレゼンテーションの理論を理解する必要があります。また、スライドに箇条書きなど情報量が多いと、読むことと聴くことのどちらにも集中できず結局何も分からずに終わってしまいます。話は戻りますが、相手に聞く気にさせるには信頼できるというイメージを持たせないといけませんよね。発表する内容に対して、正しいという根拠を示すことが大切です。私が教えるプレゼンテーションの方法も、根拠に基づいたものです。「読みながら聞けます」と言っていた生徒は、内容をすっかり忘れていました。映像記憶ができる人はそんなにいませんからね。逆に、映像記憶は数秒でスライドを記憶するのでその分プレゼンターの発表に集中できます。
今まで教えたことのある一般校の生徒は、みんなプレゼンテーション用のメモまたはノートを読もうとします。そこで、生徒たちに家族のことを紹介してと言うと、もちろんメモなしで話せます。家族のことをよく知っているからできたのと同様に、プレゼンテーションのトピックについてもよく理解していないとできません。メモを用意することは分かっていないことと同じなので、私の一番のルールは「読まない」ことです。もう一つの理由は、聞き手とうまく関われないからです。オーディエンスとコネクションができて初めてプレゼンテーションとして成立するのであって、前に立って読み上げるだけではプレゼンテーションとは呼べません。
必ず覚えていて欲しいことは、聴いている人とつながるためにはメモを見ないこと!相手の目を見て話してください。文法が間違えることはそこまで気にしなくて良いです。語彙力や言い回しを意識するのはプレゼンテーションよりもスピーチです。プレゼンテーションの目的は、自分の意見や考え、情報を相手と非言語コミュニケーションをとって覚えてもらうことです。文法が多少間違っていても内容は伝わります。そこの違いをしっかり理解して欲しいです。
スピーチ…言葉で訴える プレゼン…情報伝達手段
大学でリサーチやアカデミックライティングのコースがあるように、プレゼンテーションも一つのスキルとして生徒に教えるべきだと思います。