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中世の日本では昆虫はソウルフード!?


縄文時代(主に狩猟採集の時代)は自然食の時代だったので、今よりももっと昆虫は身近だったのでしょう。 海から離れていて、魚が入手しにくい地域では昆虫はタンパク質源として多くの人々が食していたと考えられています。 主に山間地方では子供がアシナガバチの幼虫を食べたり、イナゴを食べることは普段から見られた光景でしょう。
日本では稲作の伝播とともに稲の害虫であるイナゴを食べていました。害虫駆除と食糧確保の目的で一石二鳥です。 3世紀に伝播したカイコは、飛鳥時代には広く普及していたことから、食されていたと考えられています。
平安時代に中国から伝わった漢方薬には昆虫が使われていたので、薬用としても多くの昆虫を食していたのでしょう。 この時代には養蚕がすでに行われていたため、蚕のさなぎなどを人々は食べていたと考えられています。 江戸時代の有名な百科事典にはイナゴをかば焼きにして食べていたと記されています。(下)
イナゴのかば焼き
喜田川守貞 著『守貞漫稿(百科事典)』より
他にも江戸時代にはゲンゴロウやタガメを食していた。あげたりゆでたりしていたが、定番は佃煮だったと言われています。
こんなに食べられていたというのになんで最近の日本では全然昆虫は食べられなくなってしまったの?

それは明治維新での欧米化による人々の習慣の急激な変化によると考えられているんだ。
そこで昆虫を食べるのを忌み嫌うという風潮が広がり、昆虫食は人々から遠ざかったんだ。

でも実際は長野県や山形県、群馬県などではイナゴやコオロギをはじめ、いまだ多くの昆虫が食べられているよねー。
なんでこれらの地域に限っては昆虫食がいまだ残り続けているのだろう?

それはねー、長野県などの山間部は海から離れているから、魚が入手しにくいの。 だから山間部では昆虫はタンパク質源として多くの人々が食していたのだと考えられているみたい!


大正時代には、食用・薬用昆虫の全国的な調査を行っていた。食用としては55種、薬用としては123種も食べられていたそうです。
大正
三宅恒方 著「食用及薬用昆虫に関する調査」より

太平洋戦争直後にも調査は行われ、ハチやアリなどの幼虫やイナゴ、バッタの成虫、さらにはタガメの卵なども食べられていたと記録されています。
また、昆虫食は主に中部と近畿で盛んだったことが分かりました。

昭和40年代まで、日本でも虫の存在に比較的寛容でした。しかし、現在では虫は毛嫌いされ、昆虫食はあまり見られなくなってしまいました。
今の虫嫌いの風潮は、殺虫剤のCMや、主婦の主観によって増幅されてしまったんだ。決して不潔でないのに、理不尽だなー。

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