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1950年代のゴミ事情 <地方出身70歳代男性にキク>

東北地方で生まれ育った70歳代男性に、この方が小学生だった1950年代のゴミ事情についてインタビューしました。家事の手伝いや生活をする中で思い出されるゴミの種類や捨て方、ゴミに関わる生活の知恵などを語っていただきました。

 
1950年代の買い物事情を教えてください
冷蔵庫の技術が発達していなかったので、その日に食べる分だけを買っていました。そのため、現在の食品ロスのようなものはなかったです。多くの食品の種類を扱うスーパーマーケットやコンビニエンスストアはなく、肉屋、魚屋、八百屋などからそれぞれ食品を買っていました。買ったものを持ち帰るためのレジ袋はなく、買い物客は買い物かごを持って買い物に行きました。魚や野菜は新聞紙に包んで、肉は経木(きょうぎ)というスギやヒノキなどの木材を薄く削って乾燥させたものに包みました。また、米や酒、塩の販売は許可制だったので、免許を持っている店のみが売る事ができたため、その店に空の一升瓶を持って買いに行きました。油も空の一升瓶を持って買いに行きました。しょう油や豆腐は、自転車でリヤカーを引いて売りにきていました。しょう油は空の一升瓶に、豆腐はナベに入れてもらいました。
お話を聞いて思ったのですが、ビニールやプラスチックはなかったということですか?
なかったです。液体のものを買う時は、自宅の空のビンやナベを持っていき、それに入れて持ち帰りました。また、食品を包むものは新聞紙などの紙や木が多かったです。そのため、発生するゴミは少なく、ビニールやプラスチック製品はありませんでした。
発生したゴミはどのように処理していましたか?
行政によるゴミの収集はなかったように記憶しています。
炊事場には薪を熱源としたかまどがあったため、食品を包んだ新聞紙や経木などはかまどの燃料として燃やしていました。かまどから出た灰は畑に撒きました。日本の土壌は酸性なので、灰を撒くと土壌をアルカリ性に傾けてくれ、野菜や果物が好む弱酸性~中性にしてくれるからです。他にも灰を雪の上に撒くと、灰色の灰が日光を吸収して雪が解けやすくなるため利用していました。
生ゴミは、自宅敷地内の畑に大きな穴を掘りその穴に捨て、土と混ぜて、微生物の働きによって生ごみを堆肥化して畑の肥料として再利用していました。
その他のゴミはどのように処理していましたか?
ビールやラムネなどの炭酸の飲み終わったビンは、購入した店に返却していました。また、使用後の缶詰は鉄クズとして売りに行っていました。
ゴミの再利用の工夫に、「もみ焼き」と「ぬか袋」というものがありました。
「もみ殻焼き」とはどういうものですか?
大量の「もみ殻」をいぶし焼きにして、微細な炭(燻炭)としたものです。土壌改良材として使うほか、炭としてこたつなどでリサイクル燃料として活用することもありました。
「ぬか袋」はどういうものですか?
手ぬぐいに米ぬかを入れた「ぬか袋」を自宅から持ち寄り、小学校の床や柱を磨きました。当時は学校の校舎は木造だったため、ぬか袋を濡らしながら床や柱を皆で磨くと、ぬかの油で艶が出てピカピカになったことを覚えています。
インタビュー後の感想

1950年代の買い物はビン、ナベやカゴを自宅から持参していたため、ゴミとなるものが少なく、家庭から出るゴミが少なかったことがわかりました。また、プラスチック製品やビニール袋がなく環境への影響が少なかったことがわかりました。
さらに、ゴミの再利用が徹底していて、使えるものは再利用して最後まで工夫して使うという精神が現在とは異なる点だと感じました。 1950年代は環境に負荷のかからない生活だったことがわかりました。

  再利用して最後まで工夫して使う