どどいつの生い立ち(2)


 「どどいつ」と呼ばれるものが登場したのは江戸時代のこと。
 十九世紀初め頃、七・七・七・五、二十六音の歌詞三味線伴奏で歌う「どどいつ節」が大流行しました。東海道宮の宿(今の名古屋市熱田区伝馬町あたり)の女中さんが歌い始めたのが始まりとされています。

 どどいつ節は、神戸節などとも呼ばれ芸人さんが観客の前で歌う奇席色ものや、遊郭お酒で歌われるお座敷歌として東の方へ広がっていきました。 そういったところで歌われたので、男女の恋愛を歌ったものが多くありました。

 演芸分野では詩の内容よりも歌うことが重要でした。江戸時代の終わりに、歌い手の教養や声の良さをアピールするような、「あんこ入りどどいつ」が登場します。「あんこ入りどどいつ」は、二十六音の七・七と七・五の間に民謡小唄一部をはさみこんだ形式のものです。
 たとえば・・・

「♪つらい悲しい 思ひもはれて --- (どどいつ節 七・七)
約束かため身をかため
世帯固めて落着いて (新内蘭蝶)
♪今じやうれしい めおと仲 (どどいつ節 七・五)」
飾り

 

 歌い手が、「自分が歌えるのはどどいつだけではないんだぞ」と、自分たちの力量競うのにもってこいの歌い方だったのでしょう。

 

 江戸時代のに、三味線弾きながらどどいつ節を歌って歩き、人々の人気を博した人がいます。名前は都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)。彼は、名古屋で生まれたどどいつ節を江戸庶民の間に広め、「どどいつ節の元祖」を名乗りました。

「 あきらめましたよ どう諦めた あきらめきれぬと あきらめた    (扇歌) 」

  彼は優れた芸人で、即興謎かけも大人気でした。

 どどいつ節は、三味線俗曲として庶民の間に定着し、明治時代迎えました。

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引用
 「」内の作品は、いずれも『どどいつ入門』(中道風迅洞著、徳間書店刊)より、引用させていただきました。




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