どどいつの生い立ち(2)
どどいつ節は、神戸節などとも呼ばれ、芸人さんが観客の前で歌う奇席色ものや、遊郭のお酒の席で歌われるお座敷歌として東の方へ広がっていきました。
そういったところで歌われたので、男女の恋愛を歌ったものが多くありました。 演芸の分野では詩の内容よりも歌うことが重要でした。江戸時代の終わりに、歌い手の教養や声の良さをアピールするような、「あんこ入りどどいつ」が登場します。「あんこ入りどどいつ」は、二十六音の七・七と七・五の間に他の民謡や小唄の一部をはさみこんだ形式のものです。
歌い手が、「自分が歌えるのはどどいつ節だけではないんだぞ」と、自分たちの力量や芸を競うのにもってこいの歌い方だったのでしょう。
江戸時代の末に、三味線を弾きながらどどいつ節を歌って歩き、人々の人気を博した人がいます。名前は都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)。彼は、名古屋で生まれたどどいつ節を江戸庶民の間に広め、「どどいつ節の元祖」を名乗りました。 「 あきらめましたよ どう諦めた あきらめきれぬと あきらめた (扇歌) 」 どどいつ節は、三味線俗曲として庶民の間に定着し、明治時代を迎えました。 引用 |
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