どどいつの生い立ち(3)

 明治時代文明開化影響を受け色々などどいつが登場します。

@漢詩入りどどいつ
 
 どどいつの前半後半の間に、そのどどいつの内容補強するような漢詩をはさみこんだものです。

「 ひがないちにち わしややまめぐり
     白日依山盡 黄河入海流
   うちじやたにまに ぬのさらし       」

A英語入りどどいつ

「 フェース見られず モフこのごろは ラープい夢にも 遠座かり
   (顔も)                  (嬉しい)           」

Bフランス語入りどどいつ

「 わたしやみやまの オルペレインよ いきなカピティが うらやまし
               (みなしごむすめ)   (みやこ)         」
文明開化を歌ったどどいつも登場しました。 飾り

    「 一字一字に 離して書いて まとまるの 電信機 」

 明治十年頃から自由民権運動影響を受け始めます。社会雰囲気 を受けて、ほれる権利尽くす義務というような、権利義務を歌った どどいつが盛んにつくられました。

 「 ぬしと権限 さだめたからは 客気させぬは わしの義務 」

 また、どどいつの定期刊行物発行され、どどいつを創作しようという動きが出てきます。俳句句会のようにどどいつ会が催され、どどいつ家のグループができました。

 どどいつ雑誌編集にかかわっていた黒岩涙花という人は、どどいつの「お座敷三味線情歌」「お酒の席での演芸」というイメージを払拭しようと、二十六音の文芸詩としての新しいどどいつの創作呼びかけました。作品 日露戦争最中雑誌投稿されたです。

 
「 に 露営を 心ないぞや 玉あられ         (甲州の家) 」 飾り

 昭和初期にもこの流れ受け継いで、どどいつを花柳界から取り出して、一般大衆広めようという動き続きます。どどいつは、文芸詩であることを強調するため、「街歌」、「俚謡正調」とも呼ばれました。

 当時発足された文芸詩としてのどどいつを創作するグループ「しぐれ吟社」の活動は、今でも続いています。

 「うたいもの」の演芸として発展受け継がれていったどどいつは、こうして短歌俳句などの文芸詩の一つとしてつくられるようになりました。

引用
 「」内の作品は、いずれも『どどいつ入門』(中道風迅洞著、徳間書店刊)より、引用させていただきました。

「どどいつの生いたち」 おわり




1 2 3

目次 どどいつってなに? どどいつの生い立ち どどいつをつくろう!
字引(別窓) おもしろどどいつ紹介 創作折りこみどどいつ 参考・素材リンク