人間は、古くから鉱物を化粧品の材料として利用してきました。
アイシャドーの歴史は古代エジプトに始まります。黒と緑の二色の顔料が用いられ、黒は年度鉱物コリライト、緑は孔雀石の粉末で目の周囲を彩りました。
この習慣は、ギリシャ・ローマへ、さらにはイスラム世界へと受け継がれました。また、孔雀石はすりつぶすと緑色の粉末になり、岩絵の具として絵画にも用いられてきた。銅鉱山に二次的に産出する美しい緑色をした孔雀石は、粉末にして顔料として使われました。クレオパトラが、アイシャドーとして使ったのは良く知られている話です。ちなみに古代エジプトでは、アイシャドーは太陽の光や虫から目を守るためのものであったといいます。
日本でも、平安時代に貴族の間で、鉛を原料とする鉛白が白粉として使われていました。安価で手に入る鉛白粉は江戸時代以降、おいらんや歌舞伎役者から庶民にまで普及して行きましたが、貧血や腹痛、脳障害などの鉛中毒を起こすことがわかり、明治時代には姿を消しました。
日本で化粧品として使われている鉱物に絹雲母があります。絹雲母は白雲母が細かく滑らかになったもので、ファンデーションやクリームなどに入っています。なめらかに伸び、皮膜性があるため、肌を包むのに適しているのです。愛知県東栄町にある粟代鉱山は、良質の絹雲母を産出する行動彫りの鉱山として知られています。ほぼ100%といわれる純粋な絹雲母の産地は世界でもここしかなく、年間70万tほどが生産されています。
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