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人間と鉱石の歴史


鉱物・鉱石はいろんなところで役立っています。もともと鉱物・鉱石は、石という概念で人間の生活上無くてはならない道具や素材でした。石器・土器をはじめ、青銅・鉄などの金属製道具、金・銀・胴などの貨幣、岩絵の具、宝石など歴史的に長い付き合いがあります。そんな鉱石と人間の関係を見ていきます。

  • 日本のヒスイ文化

ひすい輝石は縄文時代から珍重されており、新潟県糸魚川で産出されたものが勾玉や大珠として加工され、現在、それらは日本各地で出土しています。

しかし、翡翠文化は古墳時代以降歴史の表舞台から姿を消していたため、昭和初期に糸魚川が翡翠の産地であると確認されるまで、古代の翡翠文化は大陸由来であると考えられていました。

その後、糸魚川周辺の遺跡の発掘調査でひすいの原石や工房跡、勾玉などが次々と発見され、翡翠文化は日本発祥であると言われるようになりました。

また、糸魚川周辺以外にも、北海道、青森県、山形県、富山県、石川県、京都府、大阪府、奈良県、島根県、福岡県、熊本県など、各地の遺跡で翡翠が発見されており、古代社会翡翠の製品が日本各地に広く普及していたことがわかります。

また、翡翠に纏わる有名な話として、奴奈川姫の伝説が糸魚川に伝わっています。

縄文時代から古墳時代にかけて、質の良い翡翠が取れることで有名な「越」という国が現在の新潟県付近にあった。この地を収めていた奴奈川姫と、出雲国からやってきた大国主命は結婚するものの、当時、翡翠は権威の象徴であったため、それが目当ての政略結婚であると言われている。結局二人の関係は上手くいかず、逃げ出した奴奈川姫は大国主命の軍勢に追い詰められ、ついには自害したと伝えられる。

また、この大国主命を奉っている出雲大社本殿裏の真名井遺跡では糸魚川産とみられる大きな翡翠の勾玉が出土しています。

ヒスイ

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