説明 Description

English

<八月十八日の政変(はちがつじゅうはちにちのせいへん)>Coup of August 18

当時、力を持っていたのは、尊王攘夷派(そんのうじょういは)長州藩(ちょうしゅうはん)
それを邪魔に思っていた公武合体派(こうぶがったいは)薩摩藩(さつまはん)は、 同じ公武合体派の会津藩(あいづはん)と手を組んだ。
そして、8月18日、朝廷(ちょうてい)公武合体派を取り込み、 尊王攘夷派を京都から追い出すことに成功したのである。
そのとき、会津藩おあずかりの新撰組(当時、壬生浪士(みぶろうし))は、警護にあたり、実績を残している。
そしてここから、公武合体派が力を持つことになるのであった。

At that time、the one who had power was the Choshu-han of sonno jyoui ha.
The Satsuma-han , who thought it was an obstacle, formed hands with the Aizu-han.
and on august 18,It took in the koubu gattai of the imperial court and succeeded in kicking out the sonno jyoui ha from Kyoto.
At that time, the Shinsengumi has guarded and has a track record. And from this point, the koubu gattai ha got the power.