ここでは、新選組に関わるややマニアックな豆知識をいくつか扱っています。
豆知識その1
≪死番(しばん)≫
隊士たちが戦うとき、最も怖かったのは狭い家の 入口と階段だったそうだ。
敵が待ち構えていれば、一番初めに入った者や一番初めに階段をのぼった者は、確実に切られてしまうからである。
新撰組では、4名で1グループを作らせ、一番初めに突入する「死番」というものをローテーションで回していた。
こうすることで朝から覚悟を持って、挑むことができたのである。[1][2]
豆知識その2
≪土方と遊女(ゆうじょ)≫
イケメンであったとされる土方歳三(ひじかたとしぞう)(→人物)は、遊女、今でいうキャバ嬢にモテていたそうだ。
土方の故郷にいる親戚の鹿之助、という人物へ送った手紙には、自分がどれだけ女性にもてたか詳しく書かれている。
さらに、鹿之助には、遊女たちが自分にあてたラブレターの束を送ったこともあったそうだ。
厳しい副長には、こんな一面もあったのである。[2]
豆知識その3
≪脇差(わきざし)≫
脇差とは刀の種類のことで、普段使う刀が壊れるなどして使えなくなったときに使用される、予備の刀のことである。
普通、護身用としても用いたりするこの刀だが、近藤と土方(ひじかた)は、普通でない長さの脇差をもっていたらしい。
近藤の脇差は、71センチ。土方の脇差は、59センチ。異様な長さだ。
近藤が言うには、刀というものは折れるものであり、万が一実戦の最中に折れてしまっても、脇差が長ければ代わりに使うことができるらしい。[1]
豆知識その4
≪新撰組で一番強い男≫
新撰組の中で強いイメージがあるのは、沖田総司や土方歳三ではないだろうか?
しかし、実は、二番隊隊長、永倉新八が一番強かったらしい。
隊士の阿部十郎(あべ じゅうろう)という男の証言では、「沖田総司は勇(近藤)の一番弟子でなかなかでした。
その次は斉藤一。そして、永倉新八という者がいました。彼は沖田より少し稽古が進んでいました」
天才といわれる沖田をしのぎ、最強と評価されていたのである。
そんな永倉は、池田屋事件(いけだやじけん)で、浪士を4人倒していたそうだ。そのとき切られた浪士はせいぜい5,6人。
つまり、大半をひとりで倒したことになる。最強の名は伊達ではない。
豆知識その5
≪羽織≫
新撰組を思い浮かべるとき、どんな姿が思い浮かびますか?
新撰組といえば、この青色の羽織ではないでしょうか。
よく目にするこの羽織には実はたくさんの秘密があります。
みなさん、一緒に見てみましょう。
<なぜ羽織を作ったのか?>
浪士組(「新撰組」の初期の呼び方)として上京した壬生浪士組ですが、資金がなくなったため大阪へ下りました。 会津藩から「預かり」という身分をもらった彼らですが、活動資金がもらえず資金は自分たちで調達しなければいけませんでした。
資金を調達した彼らは、冬に着ていた服がそのままになっていたため夏服を買おうとします。
これを機に、新選組内での「制服」を作成することにしたのです。
<新撰組の羽織ってどんなもの?>
羽織が作られたのは初夏の頃です。そのため、通気性の良い麻生地で作られていました。
羽織の色は「浅葱色(あさぎいろ)」と呼ばれる薄い藍色でした。 浅葱色は平安時代にもその名が出てきているほど古い日本の伝統色です。
羽織の袖口には白い山の形をした「ダンダラ模様」が入っています。
ダンダラ模様は、その当時とても人気だった歌舞伎の舞台で、赤穂浪士(あこうろうし)が着ていた羽織のデザインを真似していました。
このことは永倉新八(→人物)が認めています。