エジプトを愛した強き女
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紀元前69年に アレクサンドリアのレギア王宮で、プトレマイオス12世の
三人目の王女として誕生した。教育者にアポロドロスがつき、才能を
開花させていった。特に語学に関しては「ギリシャ語」、「ラテン語」、
「ヘブライ語」、「エジプト語」などを話せる程 素晴らしかったという。
11歳になり 大国ローマに狙われている、という当時のエジプトの現状を
知り、酒におぼれている、父 プトレマイオス12世の立場に不安を覚える。
おじのキプロス王が死に プトレマイオス12世がローマに追放され、
クレオパトラの立場もどんどん悪くなっていった。
クレオパトラが14歳に成長した頃、ローマに追放されていた
プトレマイオス12世と 再会する。その時に、ローマの騎兵長官だった
マルクス・アントニウスと出会う。
18歳のときにプトレマイオス12世が亡くなり 女王となる。8歳年下の弟、
プトレマイオス13世と結婚し、古都メンフィスで即位式を開いた。
この頃のクレオパトラの心中は 幼き弟王を頼りに出来ず、不安で揺れ
動いていたと 考えられる。
21歳のときにローマのポンペイウスを 援助したことがきっかけとなり、
エジプトを追放され シリアまで逃れた。その後じゅうたんに身を包むと
いう巧妙な策でアレクサンドリアに来ていたユリウス・カエサルに会う。
そして見事にユリウス・カエサルの心を射止めた。
ユリウス・カエサルの協力のおかげで、再びエジプトの王座につく。
クレオパトラもこの頃から ユリウス・カエサルを愛しはじめていた。
その後ユリウス・カエサルとナイルの旅に出て、カエサルとの子供
プトレマイオス・カエサルを 出産する。
23歳のときに、ユリウス・カエサルの凱旋式にでるために ローマへ行き、
2年間カエサルの別荘に住んだこの頃がクレオパトラの女としての人生の
中で一番幸せだったといえるかもしれない。その後すぐに
ユリウス・カエサルを失い、涙にくれる日々が続いたが エジプトの
女王として立ち直る。
28歳、政治のために手を組んでいた、マルクス・アントニウスに心ひかれて
妻となる。その年の秋と冬を二人で過ごした。
29歳のときにセレネとヘリオスの双子の母となる。
しかし、ローマにいる 夫マルクス・アントニウスが、オクタビアヌスと協定を
結ぶために、その姉 オクタビアと結婚した事を知り裏切られた怒りと
悲しみを胸いっぱいに広げていた。
32歳のときに夫の裏切りを許し、シリアのアンティオキアで 正式な
結婚式を開く。
4人目の子供、フィラデルフォスが生まれる。この頃のクレオパトラは
以前のような幸せな生活を取り戻しかけていた。だが、幸せは長くは
続かずエジプトとローマの戦争がはじまる。
ギリシャのアンブラキワ湾で オクタビアヌスの艦隊と
マルクス・アントニウスの艦隊はにらみ合いを続けていたが、
マルクス・アントニウスの艦隊は罠にはめられ、絶体絶命のピンチだった。
しかしクレオパトラはオクタビアヌスが隙を見せた瞬間に、
マルクス・アントニウスを戦場に残し アレクサンドリアに帰った。
クレオパトラがどれだけエジプトのことを愛していたのかがわかる
瞬間だった。
その後、ローマ軍と戦ったが もはや勝負はついていた。
マルクス・アントニウスに自害されて 一人取り残されたクレオパトラは、
オクタビアヌスに捕まる。マルクス・アントニウスの葬儀が行われた日の
夜、クレオパトラは毒蛇に体をかませて自害した。エジプト最期の女王に
ふさわしい誇り高い最期といえるだろう。