〜
ピーターさんへのインタビュー Page. 1〜 |
|
|
ページ( 1
/ 2
/ 3
/ 4
/ 5
/ 6
)
|
岩間 - 岩間恵太朗と申します。あなたは誰ですか?
ピーターさん -
ピーター・ファレルです。
岩間 - ファレルさん、お会いできて光栄です。今日は、アイルランドの音楽と歴史について、いくつかの質問に答えていただければと思います。早速ですが、アイルランドの位置と首都を教えていただけますか?
ピーターさん - これはテストかい?
岩間 -
はい、そのようなものです。
ピーターさん
-アイルランドは、ヨーロッパの西端に位置していて、首都はダブリンだ。正しいかい?
岩間 - その通りです。
岩間 - ご出身を伺ってよろしいでしょうか。
ピーターさん - アメリカ合衆国のニューヨーク州出身だよ。
岩間 - アイルランド系の方だと聞きましたが。
ピーターさん -
父方の曾爺(ひいじい)さんは、1840年代にアイルランドからアメリカへ移民としてやって来たんだ。母方は、アイルランド系、ドイツ系、ポーランド系だよ。つまり、私自身は80%以上がアイルランド人だって事だね。
岩間 - そうするとあなたは、移民の孫ということになりますね。
ピーターさん -
いや、曾孫(ひいまご)だよ。
岩間 -
それは、驚きました。
ピーターさん -
アメリカでは普通のことだよ。もちろん、奴隷として連れてこられた背景を持つ人や、元々アメリカに住んでいたネイティブ・アメリカンの人々もいるけどね。
▲ページ先頭へ
- 解説 -
ファレルさんは、「1840年代にアメリカへ渡ったアイルランド人」を祖先に持つそうだ。アメリカ合衆国は移民の国だ。初めからアメリカに暮していたネイティブ・アメリカンと、奴隷として連れてこられた歴史を持つ黒人の人々を除けば、アメリカ合衆国の国民は移民を祖先に持っている。コロンブスがアメリカ大陸を発見した後、初めに移民としてアメリカ大陸に移植してきたのはイギリス人だが、アイルランド系の住民も大勢いる。実は、この「1840年代」には意味があるのだ。
1845〜1850年かけて、アイルランドの主食であるジャガイモが極端に不作になった。小麦などのジャガイモ以外の作物はイギリスに搾取されていたので、ジャガイモが採れなくなったのはアイルランドの人々にとっては深刻な問題だった。これは、ポテト飢饉(The
Great Potato Famine)と呼ばれていて、この影響によって多くのアイルランド人が生活に困り、アメリカに移動していった。1840年代には、アイルランドでは飢饉と移民により、200万人もの人口減少があったそうだ。現在のアイルランドの人口が400万人あまりなので、どの程度の深刻かはわかるだろう。
また、アメリカへ渡るの船も環境が非常に悪かった。ファレルさんの3世代前の家族は、このような苦難を乗り越えてアメリカを目指したのだろう。
|