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歴史 写真について知識を深めるため、歴史をたどろうとすると自然とカメラの歴史に行き着きます。それも当然です。カメラが無ければ写真は撮れないのですから。
写真・カメラの歴史を簡単に年表にまとめましたので、下の項目をクリックしてみて下さい。


BC384〜322年 写真という概念
15世紀 カメラのルーツ〜カメラオブスキュラ〜
16世紀 カメラオブスキュラの改造
1826年 世界初の写真
ダゲレオタイプカメラ
1841年 ネガ・ポジ法の発明
日本にカメラ伝来
1851年 湿板写真法の発明
1859年 下岡蓮杖
1861年 カラー写真システム発表
1869年 カラー写真システムの発展
1871年 乾板の発明
1888年 フィルムの誕生
1950年 一眼レフカメラの誕生
1986年 使い捨てカメラの登場
1990年 デジタルカメラ発売



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紀元前384〜322年  写真という概念

原理そのものは、アリストテレスが語っていたとされ、記録に残るものとして最も古いものは、レオナルド・ダ・ヴィンチによるものとされています。
遥か昔から実像を写し出そうという概念はあったようです。


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16世紀  カメラのルーツ〜カメラオブスキュラ〜

カメラのルーツ

カメラの語源は「カメラ・オブスキュラ」の略、ラテン語で「暗い部屋」という意味。暗い部屋に小さな穴があると、外の景色が逆さまになって反対側の壁に写るのです。
当初、カメラオブスキュラはカメラとしてではなくフランスの画家たちが紙に映った像を鉛筆でトレースするために使用していました。
カメラオブスキュラの原理
カメラオブスキュラの原理



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16世紀  カメラオブスキュラの改造

元来、絵を描くためだけだったカメラオブスキュラでしたが16世紀になると、両凸レンズをはめ込んで像を得るカメラオブスキュラが考案されます。この頃は外界を映し込んで見るためだけの装置として用いられていました。


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1826年  世界初の写真

1826年、ニエプスはアスファルトを感光板として自分の家から見える風景を撮影しました。これが世界で最初に撮影された写真です。
しかしこの写真は露光時間が6〜8時間にもおよび、現在のカメラが一瞬で露光することを考えると未完成なものでした。また画像も鮮明なものではありませんでした。


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ダゲレオタイプカメラ

ニエプスはその後、画家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと協力し研究を重ね銀板写真法を発見しました。銀板を用いたこの写真法を利用したカメラはダゲレオタイプカメラと呼ばれました。しかしこれでもまだ露光時間は30分程かかりました。 ダゲレオタイプカメラ


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1841年 ネガ・ポジ法の発明

ネガ・ポジフィルムへ

1841年、イギリスのウイリアム・ヘンリー・タルボットは1枚だけでなく今のように焼き増しのできるネガ・ポジ法を完成させました。
このネガ・ポジ法は紙ネガから陽画に焼きつける方法でカロタイプと呼ばれました。
カロタイプは露光時間が2、3分と短く、ダゲレオタイプカメラと比べて格段の進歩を遂げました。


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日本にカメラ伝来

日本のカメラの歴史

日本へのカメラの伝来は1841年にオランダ船によってもたらされました。そのとき伝来されたのはダゲレオタイプカメラです。
このダゲレオタイプカメラは島津藩の御用商人であった上野俊之丞が購入し、島津藩主の島津斉彬に献上し撮影されました。
この銀板写真が日本初の写真とされ、撮影日とされる6月1日は現在でも写真の日とされています。


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1851年  湿板写真法の発明

さらなる進歩へ

ダゲレオタイプカメラに比べ、格段によくなったカロタイプですが、
その10年後の1851年、さらに露光時間の短い湿板写真法がフレデリック・スコット・アーチャーによって発明されました。これはガラス板にコロジオンという液体を塗布し、この感光膜が湿った状態で撮影する方法で露光時間は10秒以下となりました。



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1859年  下岡蓮杖(しもおかれんじょう)

下田生まれの画家の下岡蓮杖は日本の写真術の開祖と言われています。
彼は積極的に外国人との接触を図り、オランダ人の通訳ヒュースケンから写真の手ほどきを受けました。
他にも1859年に開港した横浜でアメリカ人のウンシンからも写真技術を学びました。 ウンシンからは彼の帰国の際に写真機を譲り受けたと言われています。
その後研究、実験を重ね湿板写真法を習得しました。そして、横浜に日本で始めての写真館を開設しました。今までの画家としての技術も生かし人工着色や画像の演出なども行いました。

こういった下岡蓮杖の活躍もあり、日本でのカメラ技術は向上し続け、現在、日本のカメラは世界で活躍しています。



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1861年  カラー写真システム発表

カラー写真の誕生

カラーの記録、再現の方法を最初に考え出したのは、イギリスのマクスウエルです。
彼は青紫、緑、赤、すなわち色光の三原色(加法混色)を重ね合わせていろいろな色を作る実験をしました。つまり、私たちの目と脳で行われている色の識別を証明したのです。
青紫、緑、赤それぞれのフィルターを付けて撮影した写真を3枚重ねて投影することでカラー写真を実現しました。
しかし、紙などに焼くことはなく、投影してみるカラー写真でした。

加法混色


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1869年  カラー写真システムの発展

カラー写真の進歩

1869年、フランスのオーロンがシアン、マゼンタ、イエローの色材の三原色(減法混色)によるカラー写真の原理を発表しました。
しかし、当時入手できる材料として適切なものがなかったためにすぐに実行には移されませんでした。
他にも彼は、これに先立つ1868年にカラー印刷法も考案しています。
減法混色



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1871年  乾板の発明

乾板の登場

湿板の弱点を克服するために登場したのが乾板で1871年にリチャード・リーチ・マドックスが発明しました。
乾板は写真乳剤を塗布して乾燥させたガラス板を用いる方法で、銀板写真、湿板写真とは異なり撮影者が感光膜を作る必要がなく、生産された製品を用いて撮影ができるため写真への興味が大きく広がりました。
感度も向上し、露光時間も短縮され、この時期からカメラにシャッターが取り付けられるようになりました。



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1888年  フィルムの誕生

現在のようなロールタイプのフィルムが登場したのは1888年。アメリカのイーストマン社がコダックというカメラを発明しました。
セルロイドに感光乳剤を塗布した100枚撮りフィルムとカメラのセットのコダックは評判になりました。現在でも、世界で有名なイーストマン・コダック社がここに誕生しました。
1925年にはカメラの代名詞とも言えるライカの基礎となるカメラも発表されました。



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1950年  一眼レフカメラの誕生

発展するカメラ

1950年になると一眼レフカメラが発表されました。一眼レフはレンズ交換が可能で、シャッタースピード絞り値を任意の値に設定することができます。
目的に合わせた厳密な構図決定が可能であり、ピントの確認はファインダーで確認出来る機能を備えています。
*一眼レフ拡大画像1 *一眼レフ拡大画像2


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1986年  使い捨てカメラの登場

正式名はレンズ付きフィルムと言われる手軽なカメラが登場しました。
ポケットフィルムにレンズとシャッターをセットした、全く新しいタイプのフィルムで画期的なものでした。気軽に使えるという身近さがあり、誰でも一度は使った事があることでしょう。現在では、水中でも使えるものや、望遠機能があるもの、夜でもきれいに撮影できるものなど機能が充実しています。日本の高校生の間では、コミュニケーションのための必須アイテムとして愛用されています。
使い捨てカメラ


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1990年  デジタルカメラ発売

デジタルカメラ登場

デジタルカメラはフィルムではなく、メディア(SDメモリー・メモリースティックなど)にデジタル画像が保存でき、撮ったその場で画像を確認できます。また、消去も簡単なので必要な写真だけをプリントできるスピード性、経済性が魅力です。これからのカメラの主流に向かって開発が急速にすすめられています。

*デジカメ拡大画像1 *デジカメ拡大画像2



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