※出典※
(○…HP ◇…書籍)
○沖縄国際大学ヘリ墜落事件情報ネットワーク
(http://www.geocities.jp
/okiunoflyzone/jhome.html)
○沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故 学生対策委員会
(http://www1.odn.ne.jp
/okikokuiinkai/)
○米軍ヘリ墜落・沖縄国際大学・ナンヨウスギ
(http://www.geocities.jp
/okiu5501/index.htm.htm)
「この事件に関する情報を共有するとともに、大学内外の多くの人々と意見交換をし、二度とこのような大惨事が起きない「日本一安全な大学」を目指し、「平和を求める大学」として、普天間基地の飛行停止、早期返還を訴えることを目的としています。」
と書かれています。
HPには事件の経過はもちろん、当サイト運営者のメッセージや、事件写真、基地関係の集会の情報など、他では見られない豊富な情報が載っています。
米軍は沖縄県警の現場検証の要請を無視、機体をすべて持ち去り、さらには大学所有の樹木も、機体撤去作業にジャマだとして、勝手に伐採して持ち去り、土も掘り返しました。
「放射能…」といいながら化学防護服を着て作業する姿も見かけられており、放射能による環境汚染も懸念されています。
また、8月20日には普天間基地での飛行訓練が再開されました。
事故後、米軍は次々と普天間基地のフェンスを乗り越えて、「来るな」とでもいうような雰囲気だったそうです。
米軍が最初にやったのは、人命の安全の確保でも被害拡大の阻止でもなく、宜野湾消防隊員の消火活動を制止して、散乱する機体の破片を回収し、軍事機密の保持に全力をあげていました。
その後100名ほどの米軍が勝手にキャンパス内に「立ち入り禁止エリア」を設け、誰一人として入れなかったそうです。
尾翼がなくなった米軍ヘリが、ジグザグと迷走し、沖国大上空に出現。それはわずか「ビルの3階ぐらいの高さ」だったといいます。
いつもとちがう「プルプルという弱いエンジン音」がしだいに大きくなり、大学にいた教職員、学生、付近住民は、異常を察知。多くの人たちが「自分たちに向かって墜ちてくる!」と死の恐怖を感じたと語っています。
午後2時15分すぎ、米軍ヘリは「ぐるぐる廻って」沖国大本館に激突。「ドカーッ」という大きな音とともに、黒煙と火柱が吹き上がりました。「最初はカミナリが落ちたのかと思った」というほどの大きな音だといいます。
墜落した直後から3〜5回の爆発音(現場の直近にいた人は「7〜10回」とも証言している)がたてつづけに起き、火柱が10メートル以上の高さにまでたっしたといいます。あたり一帯は、あっという間に黒煙と異臭に包まれました。
大学構内では、黒煙や白煙に包まれながら、「火事だ!」「ちがう! ヘリが墜ちたぞ!」という声や「グランドに避難しろ!」「館内に逃げろ!」などの声が交錯。あたりは騒然、パニック状態になりました。「足がすくんでしまい」動けなくなった人たちや、泣き叫び、しゃがみこむ女子学生、「まわりが真っ白で」方向感覚を失い、呆然と立ち尽くすことしかできなくなった人たちでいっぱいになったのです。「ヘリが墜落と同時に私の頭上をヘリの羽根の破片と燃料タンクか何かは知らないけれど、赤い金属のフタも一緒に飛んできました」と恐怖の瞬間を語ってくれた方もいます。
他方で、全学的に「避難勧告」や避難誘導が全くなされませんでした。一時間以上もまったく事故に気がつかず、構内で勉強していた人も相当数いたのです。
2004年
8月13日(金)
午後2:15 米軍ヘリが旋回しながら本館に衝突、墜落、炎上。米軍兵士3人が負傷
午後3:20 学内に米軍ヘリ墜落事件対策本部を設置
午後4:00 学内集中講義など学内行事をすべて中止とすることが決定
午後5:00〜45宜野湾市長、現場前で取材に答える
8月14日(土)
午後3:15 沖縄県警本部長及び宜野湾署署長宛の要請書を提出、受理される
(要請書の内容)
事故後、緊急対策本部を設置したこと。事故現場の現場保全・事故処理すべてが米軍主導であることを指摘し、被害者である本大学関係者の事故現場への立ち入りをも規制されることで、独自の対応の困難さを訴えている。午後4:10
防衛施設庁との協議。終日、現場への立入禁止が続く(学内関係者も黄色いラインを超えると怒られる)。
8月19日(木)
本館への米軍による立ち入り制限が6日ぶりに解除される
8月21日(土)
稲嶺知事が視察。