第2次世界大戦時、嘉手納町は沖縄本島最初の米軍の上陸地点となり、もちろん戦争の拠点ともなり、砲撃による被害は相当なものでした。
終戦後1948年までは嘉手納基地への部分通行が可能でしたが、その後は米軍の一方的な飛行場管理により全面的に立ち入りが禁止されました。このために北谷村々域は完全に2分されてしましました。
嘉手納町、沖縄市、北谷町、那覇市に位置しています。
嘉手納町全体が15.04q2。嘉手納飛行場や嘉手納弾薬庫地区などを含めた嘉手納基地(飛行場)は19.95km2。約75%の割合です。
普天間基地に勝るとも劣らない、防空・補給基地として世界情勢に密接に関わっている、大規模な基地です。
戦前はのどかな農業地帯でしたが、1945年4月、米軍による沖縄占領と同時に、米陸軍工兵隊が、沖縄の本土決戦に備えて、滑走路を建設したのが始まりです。
戦後、避難所や収容所から本土に帰郷すると、そこはもう米軍の町でした。
米軍基地が建設され、立ち入り禁止地域になっており、その上、基地中心の街づくりをしたために、基地の周辺に張り付くように、無計画に住宅が建設され、いびつな町がつくられてしまいました。
宜野湾市のほぼ中央部に位置しています。
宜野湾市全体が1951ha。普天間飛行場が480ha。その他の米軍関連施設は157ha。計算すると、宜野湾市に占める米軍基地の割合は、33%になります。(平成8年3月現在)
航空機・通信施設・整備使節・倉庫など、さまざまな設備が整っていて、航空基地として総合的に整備された、在日米軍基地の中でも大規模な基地といえます。
↑普天間基地
(出典:沖縄県ホームページ)
沖縄県の基地
沖縄県の対策
神奈川県の基地
東京都の基地
ちょっと違った基地問題
※出典※
(○…HP ◇…書籍)
○沖縄県ホームページ
(http://www.pref.okinawa.jp
/index.html/)
↑嘉手納基地
(出典:沖縄県ホームページ)