文字の未来は、効率性と簡易性だけが決めるわけではなく、それを使う人間の権威と権力が決めると言えます。
言語は自然に進化しますが、表記体系と文字はそうではなく、主に社会的・心理的な理由から、意図的に変えられたり、使われなくなったりするのです。
地球の主な主宗国の言語(中国語・英語・スペイン語・ポルトガル語など)は、人類の大多数に使われているために今後、文字の未来を決めていくと予想されます。
しかし今後の世の中のコンピューター化が進むほど、ラテンアルファベット志向が強くなっていくのは必至でしょう。なぜならコンピューターはラテンアルファベットを使って発明・普及し、その操作手順も、文字に基づいているからです。このままいけば、2、3世紀のうちに少数派の表記体系や文字はほんの一握りしか生き残らず、ラテンアルファベットが「世界文字」となるでしょう。
近い将来、コンピューターの音声応答システムが普及すれば、文字を「書く」「読む」という行為がもはや必要なくなることも考えられます。
しかし、今後何世紀たっても、ものを書いたり読んだりといった行為から得られる利益と喜びは、コンピューターから得るものとは比べ物になりません。
文字が将来どのような形になろうとも、人類が経験したり、記憶したり、能力を得たりするために中心的な役割を果たし続けることに変わりはないのです。
今から4000年前にひとりのエジプト人書記者が書き残しています。
「ひとりの人間が死に、その肉体は土にかえった。彼を思い出されるものは文字である。」(『文字の歴史』)