現在の日本の憲法は「日本国憲法」ですが、憲法ができたときからそうだったのでしょうか。
実は、この「日本国憲法」は1946年に作られ、1947年から使われているものなのです。
では、それ以前はどうだったのでしょうか?
日本に最初に憲法が生まれたのは1889年。
当時は「大日本帝国憲法」という名前で、明治天皇が国民に授けるという形で誕生したのでした
(大日本帝国憲法については後ほど詳しく述べます)。
しかし1945年、日本は第二次世界大戦でアメリカをはじめとする連合国に敗れました。
そして日本はアメリカ・ソ連(現在のロシア)・イギリス、そして中国による共同宣言である
「ポツダム宣言」を認めました。
これによって日本は大日本帝国憲法を改正しなければいけなくなったのです。
ポツダム宣言には、当時の日本が、軍部を国のトップとしていた「軍国主義」を否定し、民主化を図るほか、
今の日本国憲法の三大原則のうちの一つである「基本的人権の尊重」を確立することを約束として書いてありました。
憲法改正の中で、日本とアメリカの間でも慎重な議論が行われていました。
まず日本政府側の試案として、当時の松本国務大臣を中心にして作られた
「松本試案」がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部、当時日本を占領していたアメリカの司令部)に提出されますが、GHQ側はこれを拒否します。
実際、松本試案の中身は大日本帝国憲法と殆ど変わっておらず、これでは改正の意味がないとGHQ側が判断したといえます。
それから4ヶ月し、当時GHQの最高司令官だったマッカーサー元帥を中心にして作られた「GHQ草案」が日本側に提案されます。
日本側は帝国議会でこれに修正を加えたあとに、「日本国憲法」とします。
これが、現在の日本国憲法の誕生のいきさつです。
日本国憲法の前に存在した憲法、大日本帝国憲法。
しかし結果として日本の惨禍を防げず、改正される羽目になってしまいました。
これは一体どうしてなのでしょうか。
そこには、まず天皇陛下の存在があります。
日本国憲法では国民が政治に参加する「国民主権」であるのに対し、
大日本帝国憲法では天皇陛下が政治を行われるという「天皇主権」でした。
また、現在の天皇陛下は「日本の象徴」であるのに対し、
大日本帝国憲法下では「神聖で侵してはならない」とされていました。
他にも現在の三大原則として「平和主義」「基本的人権の尊重」がありますが、
大日本帝国憲法では保障されていませんでした。
このように、大日本帝国憲法は日本国憲法へと大きな変身を遂げ、今のわれわれ国民が主人公である日本という国ができたのです。