ヨーロッパ諸国へのコーヒーの広がりは、15世紀初頭のベネチアを皮切りに、ヨーロッパ全土へと浸透していきます。
どのように広がっていったのでしょうか?
コーヒーハウスの果たす役割は何でしょうか?
情報交換、紳士の社交場。男たちはここで政治を語り文学を論じ、ビジネスを展開しました。
コーヒーが日本に伝わったのは鎖国真っ只中。
1641年、長崎の出島に置かれたオランダ商館に駐在していた外国人により、限られた日本人に振る舞われたのが始めだとされています。 外国人に接触できる機会がある人というと、商人、役人、通訳、遊女などのみなので、本当にごく少数の人々しか知らないものでした。 また、コーヒーは初めは日本で薬用として用いられていたという記録もあります。
1807年の、いわゆる樺太出兵の際、野菜の摂取ができないことによるビタミン不足で水腫病になる兵士が大勢いました。 そこで幕府は当時、水腫病に効くとされていたコーヒーの実を医薬として支給したというのです。
さらに1826年、医師として有名なシーボルトが、約200年ほどオランダ人と貿易をしてきた日本人のほとんどがコーヒーを知らないことに衝撃を受け、薬用としておおいに宣伝したとシーボルト自身が記した「薬用応手録」にあります。
まだ日本ではあまり広がっていないのでしょうか?
日本での普及はもう少し後です。
明治の初め、開国の影響で西洋文化を積極的に取り入れていこうとする姿勢が多く見られるようになり、西洋文化の象徴であるコーヒーも受け入れられていくようになります。 長崎、神戸、横浜、函館などに次々と外国人居留地がつくられ、そこで外国人から接待を受けたり、欧米諸国への使節や視察や留学などで洋風の食事を経験したり、横浜などに外国人相手のホテルが作られたりと、日本人がコーヒー、また洋食を口にする機会が増えていったからです。
いわゆる文明開化ですかね…? 学校で習ったことがあります!
その通り!そしてついに日本で初のコーヒー店が1888年、東京上野の西黒門町にお店ができました。
ですがコーヒー店はまだまだ上流階級やハイカラな人々の間でしか楽しめないものでした。
それじゃあ広まったって言えなくないですか?
痛いところをついてきますね。大正時代には大衆も飲むようになります。
明治時代から大正時代にかけて、カフェがいくつかできて、日本にもやっとカフェ文化の風が入ってきました。 しかし、いずれもまだまだ一般の人には敷居の高い店ばかりでした。 そんなときに現れたのが「カフェ パウリスタ」。 初めこそ文士や文学青年たちの社交場でしたが、一般の人達が気軽に立ち寄れる値段と雰囲気で、あっという間に大繁盛して、大正時代の最盛期には全国に20余りの支店を数えるほどになりました。 パウリスタは、コーヒーの大衆化に大きな拍車をかけました。
そして大正時代には確実にコーヒー愛好家が増え、昭和に入ってますます需要を伸ばします。 ですが、第二次世界大戦でコーヒーは『敵国飲料』として輸入停止になります。日本人の生活から一時期コーヒーは姿を消してしまいます。 第二次世界大戦後、コーヒーの輸入の再開は、人々に平和の訪れを感じさせ、感激させました。
現在の日本では様々な形でコーヒーが飲まれています。喫茶店と家庭、レギュラーコーヒーとインスタントコーヒー、ホームコーヒーとオフィスコーヒーサービス、各種の缶コーヒー、そしてグルメコーヒー、フレーバーコーヒーという具合です。 多種多様な淹れ方が可能になり、好みによって用いられるようになったのです。
このような歴史を経て、今日、日本人の私たちが美味しく飲んでいるコーヒーがあるのですね!
コーヒーはアラビアからベネチアへ伝わり、ヨーロッパ全土へ広がっていきます。そして、コーヒーを飲むスタイルも変化していきます。 日本へ伝わったのは、江戸時代にオランダから。なかなか広まりませんでしたが、昭和になって需要を伸ばし、今に至ります。