パスカル三角形の歴史
パスカルの三角形の名はフランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者であるブレーズ・パスカルから取られています。パスカルはこの三角形を発見し、1655年に発表を行っていますが、最古の発見者というわけではなく、既に何人かの数学者によって発見・研究されていました。
パスカルの三角形に関する最古の文献はインドの数学者ピンガラによって書かれたとされているサンスクリットによる詩集 Meru-prastaara『須弥山の階段』です。また中国では11世紀に数学者の賈憲、13世紀に数学者の楊輝がこの三角形を研究しており、同国内ではこの三角形は「賈憲三角形」または「楊輝三角形」と呼ばれています。
神童だったパスカル
パスカルは科学者としてだけでなく、思想家としても活動し多くの業績を残しています。パスカルは1623年にフランスのクレルモンで誕生しました。幼少の頃から「天才」と呼ばれ、実際に非凡な教育の成果を表し始めました。
1640年、17歳のとき彼は円錐曲線(射影幾何学)に関する短い論文を発表し、その研究の中でよく知られる「パスカルの定理」が発見されました。17歳というと、このサイトを作成している私たちと同じ年齢であり、その天才ぶりが伺えます。また同時期に機械式の計算機も設計、製作していました。
思想家としても活躍したパスカル
パスカルはキリスト教の一派であるジャンセニスムを信奉していました。ジャンセニスムは当時カトリック教会に異端として弾圧されていた宗派です。パスカルは修道院に身をおきながら、キリスト教やジャンセニスムに関する書物を書き、評判を受けました。しかし、カトリック教会からの弾圧はますます強くなり、彼自身も活動の中で体調が悪化していきます。そして1662年に39歳という若さで亡くなりました。
パスカルが遺した書物『パンセ』
パスカルの死後、彼の言葉が書かれたメモが大量に見つかり、それがまとめられて『パンセ』が出版されました。その中に収録されている彼の言葉を引用し、1つ紹介します。
"人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。"
短い生涯の中であらゆる方面で活躍したパスカルの人生をよく表した言葉です。