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No、9
No、10

9、檸檬を買ってからの「私」
「私」が檸檬を買ってから、そのような
心情の変化がおこったでしょうか。

「始終私の心を圧えつけていた不吉な塊が
それを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、
私は街の上で非常に幸福であった。」

8で挙げたように檸檬は「不吉な塊」に拮抗するものとしての
位置付けがあったから
このような心情の変化が起こったと考えられます。

ではそのような心情の変化を「私」は
「あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。」
といっています。
これはしつこかった憂鬱が経った一顆の檸檬によって
紛らわせられるとうことは普通では考えられない事のようですが
「私」にとっては紛れもない真実ということなのです。
自分の心情の変化であるのに、自分にも不可解に思える
「私」の「心」の不思議さに「私」が思い至ったのです。
このことは「檸檬」の作品中に限らず
梶井文学のひとつのモチーフとなっています。
ですから、今度このような表現をまた見つけてみてください。

10、丸善に入った時の「私」
さて、第一段落で「丸善」はどのような場所として「そのころ」の「私」に捉えられていたでしょうか?
思い出してみてください。
「丸善」は以前の「私」が好きだった場所でした。
棚にある画本や珍しいものを見れて、
西洋の文化に触れられ、味わえる場所でした。
しかし「不吉な塊」に押さえつけられるようになっ 「私」にとって 「丸善」は「重苦しい場所」以外の何者でもなかったのではなかったでしょうか?
「丸善」の「書籍、学生、勘定台」みんな学生である「私」の
怠学を責め、背を焼く借金を負っている自分を
再確認させられるのです。
このようなことから普段は「丸善」を避けてました。
しかし檸檬を買ったことによって 「不吉な塊」が緩んだ事から、「今日」は避けていた「丸善」に入っていこうと思うのです。しかし、次第にまた憂鬱になってきます。
「私」自身は肺尖カタルの体で歩き回ったからと考えるのですが、それも考えられる理由ではありますが、もとより「書籍、学生、勘定台」という負い目はまだ解消されていなく、
これらがまた「借金取りの亡霊」として「私」をといりかこんでしまいます。

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