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絵本ってどうやって生まれたの?

小さい頃に多くの人が触れるであろう絵本。
しかしそれがどのように生まれたのかということについてはあまり考えたことは無いのではないでしょうか?

ここでは、絵本がどのようにして今の「絵」「文章」が書かれた「本」という形になり、多くの日本人に愛される存在になったのか簡単に説明していきます!

※このページでは、絵本の歴史について、
「絵と物語文が共に書かれている絵本がいつ多くの人に広まったか」ということを最優先事項とし、
広まった後の絵本の在り方については触れませんので
ご容赦ください。

1番最初は「お経」だった⁉︎

絵本の1番元々は奈良時代に生まれた「絵因果経」などと言われるお経だと考えられていて、代表作としては「過去現在絵因果経」などがあります。

この絵因果経には、上の段にお坊さんやお坊さんの話を聞きにやって来た人などの絵が描かれていて、下の段に上の絵に対応する物語文が書かれています。
絵と物語が書かれている、という点は今の絵本にそっくりです。

上の段に絵、下の段に文章、という形式は残念ながら次の時代には受け継がれませんでした。
しかし、絵と物語文が共に書かれているという形式はしっかりと次の時代へ受け継がれていきました。

お経の次は「巻物」‼︎

「お経」の次に誕生したのは「絵巻物」です。

絵巻物は、絵と物語文を交互に繰り返し巻物状にして作られています。絵の隣に文章が書かれてある、という作りは、今の絵本にとても近いですね。

代表作には、今でも絵本でよく見かける「かぐや姫」のもとである「竹取物語絵巻」や歴史の授業でもよく出てくる「源氏物語絵巻」などがあります。

しかし、意外なことに、絵巻物の「絵」と「文章」は同じ時期に作られていないものが多いのです。

「源氏物語」という物語は平安時代に書かれ、「竹取物語」「日本で最も古い物語」と言われています。
しかし、「日本で最も古い絵巻物」と言われているのはなんと「源氏物語絵巻」であり、これの絵が描かれたのは鎌倉時代「竹取物語絵巻」が描かれたのはなんと江戸時代などと、
絵巻物の「絵」は「文章」よりもずっと後に描かれたものがたくさんあるのです。

この点は昔話を描いているという点で今の絵本との共通点とも言えますね。
もちろん、この時代に「絵」も「文章」も作られた絵巻物も存在します。

遂に「本」の形に!

お経絵巻物を経て室町時代の終わりに遂に「本」という形式になりました。
片側に「絵」、もう片側に「文章」という配置は、
絵巻物を絵と文章とのワンセットで区切って作られたようにも
感じられます。
この絵本は「奈良絵本」と呼ばれ、代表作には「物くさ太郎」などがあります。 室町時代に作られたのに、「奈良」絵本とは、少し変わっていますね。
しかし、当時は印刷技術が発達しておらず1つ1つ手作りで貴重だったので、奈良絵本を多くの人が読むことはできませんでした

では、いつ絵本を多くの人が読むことができるようになったのでしょうか?

遂に絵本が皆のもとへ!

江戸時代に入ると、印刷技術が発達して、多くの人の元へ絵本が行き渡るようになりました。

この頃の印刷技術は木版印刷で、小学校の図画工作で行った版画のようなものです。中には黒一色だけではなく、下絵、木版彫り、色刷りに特化した職人の登場により、何枚もの版木を組み合わせることでカラー印刷も可能になったので、多くの絵画も共に多数制作されていました。

また、江戸時代には多くの人が今の学校にあたる寺子屋で読み書きを習っていたため日本人のほとんどは字を読んで物語を楽しむことができました。

江戸時代の絵本は一般的に「草双紙」と呼ばれ、当時出版された他の小説とは異なり、多くの絵で人々を惹きつけていました

文章と同じくらいに絵が描かれていて、そこに大きな魅力があるという点は現代の絵本と同じですね。

江戸時代には多くの草双紙が出版され、それらを売っている古本屋さんや貸し出す貸本屋さんも多くあったので、たくさんの日本人が絵本を手に取って楽しんでいたと考えられます。

このようにして、
絵本は日本人に広がり、愛されるものとなったのです。

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