近代の小麦粉

パンが広まりました

*明治維新の小麦事情*

 
江戸幕府が滅び、明治の時代になると、
横浜や銀座などを中心に、
ハイカラな西洋文化が好まれるようになります。
その中でパンが広まり・・・・かけましたが、
残念ながら、全国に広まることはありませんでした。

*戦後の小麦事情*

 


本格的に小麦が、特にパン食がひろまるのは、第二次世界大戦の後です。
戦争に敗れた日本は、国力を失い、食糧の不足が深刻でした。

そこで政府は占領軍司令部(GHQ)に食糧援助を求めました。
GHQはアメリカ

軍向けの食糧の一部を、日本に援助してくれました。

その食糧の多くが小麦だったのです。
これをきっかけとし、日本人にとって小麦が身近な存在になっていきます。

高度成長期の時代に入り、西洋化していく生活様式の中に、
小麦は溶け込みました。学校給食でパンが出されるようになり、
瞬く間に全国でパン食が一般化していきました。

近年になるにつれ、ケーキ・クッキーなどのお菓子、
パスタなどの西洋麺類も一般にひろまりました。

今では、小麦粉は、だれもが毎日食べる、そんな身近な食品になっています。


うどん

古代の小麦 → 中世の小麦 → 近代の小麦
歴史TOPへ戻る
 
TOPに戻るThinkQuest2010このページの先頭へ