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フィリッピノ・リッピ
(Filippino Lippi)(1457年 - 1504年

 フィリッピノ・リッピはフィリッポ・リッピの子供で、イタリアトスカーナ地方のプラートで生まれました。彼は15世紀後半(後期ルネサンス)を代表するフィレンツェ派の画家です。母親は父フィリッポ・リッピの聖母子像のマリアのモデルにもなったルクレツィア・ブーティです。
 当初は兄弟子であるボッティチェリや、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を強く受けていたのですが、幻想的で自然な美しさを曲線を使って描く独自の様式を確立させていきました。父の下で修行をしていますが、12歳の時に父フィリッポ・リッピが死んでしまい、父の果たせなかったスポレート大聖堂のフレスコ画を完成させます。兄弟子ボッティチェリの工房で手伝っていたため、初期の作風はとてもボッティチェリによく似ていました。
 その後、フィリッピノ・リッピはメディチ家お抱えの画家になりました。特に、ボッティチェッリと同じく、フィレンツェルネサンス黄金期を作り上げたロレンツォ豪華王と親しかったと言われています。また、それまで活動の中心だったフィレンツェから1488年ローマへ旅立ち、古代(ローマ・ギリシア時代)にとても興味持ち、そこで、古代美術を参考にして、数々の作品を作りました。しかし、サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂のための『十字架降下』の制作途中で亡くなってしまいます。後に、その作品はペルジーノによって完成されました。現存する作品は約70点確認されていますが、本物と偽物の区別が難しいとされています。今ではマニエリスム(後期ルネサンスの特徴)の最初の作品を描いたとも言われています。

自画像

 

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