フラ・フィリッポ・リッピ
(Fra Filippo Lippi)(1406年 - 1469年)
フィリッポ・リッピは、初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の画家です。1406年にフィレンツェで肉屋の子供として生まれました。しかし、夫をなくしたフィリッポ・リッピの母親は、彼を修道院に置き去りにしてしまいました。
その修道院で絵画を学び、1421年に修道士としての誓いをたてました。しかし、フィリッポ・リッピは立派な修道士にはなろうとしませんでした。
最初の作品は、フィレンツェの画家ロレンツォ・モナコや、マサッチオの影響を強く受けていました。そのおかげで当時、新しい技術であった遠近法をマスターすることができました。さらに、マサッチオの技術にゴシック的な飾りを加えていき、現実を感じさせる空間構成を創り出していきました。フィリッポ・リッピは流れるような線と繊細かつ豊かな色彩で絵を描きました。それにより人物を美しくさせる表現を行い、独自の画風を成立させていきました。巨匠フラ・アンジェリコと同じように、フィリッポ・リッピも神から与えられた力を持った画家なのです。そして、ルネサンスのフィレンツェ派発展においてとても重要な役割を果たしました。
その後、フィリッポ・リッピは1434年にパトヴァやフランドル地方を訪れました。そこで、フィリッポ・リッピ自身の画風を独自の様式へと発展させました。そして、宗教画や肖像画などの傑作を残す一方、数々の問題を起こしているのです。その中で最も有名なものは1452年のプラートの事件です。フィリッポ・リッピが50歳の頃、修道女ルクレツィア・ブーティと駆け落ちをしてしまったのです(自宅に連れ帰ったとされています)。このことで、修道院への出入り禁止となってしまいました。しかし、フィリッポ・リッピを高く評価していたコジモ・ディ・メディチのはからいにより、ローマ法王より修道士を止め結婚することが許されたのです。そして、フィリッピノ・リッピなど、2人の息子を授かりました。後に、フィリッピノ・リッピはフィレンツェ派を代表する画家になりました。
フィリッポ・リッピの現存する作品は約60点ありますが本物偽物の区別はとても困難です。また、フィリッポ・リッピのデッサンもわずかですが、確認されています。
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聖母子と二天使
ウフィツィ美術館 |