重監房
< 多くの患者を死に至らしめた「重監房」の跡 >重監房は、ハンセン病患者の中で更に反抗的だった患者が入れられる場所です。表向きは「特別病室」となっていましたが、それは名ばかりで実際には懲罰施設となっており、栗生楽泉園の中にありました。
1947年に新聞により「特別病室」の実態が世に知られると、一か月後には国会で取り上げられました。この動きは人としての尊敬を勝ち取る患者の人権運動に繋がっています。 「重監房」の跡地
1938年に建てられ、1947年までのおよそ9年間に、特に反抗的とされた約93名のハンセン病患者が入室と称して収容され、そのうち23名が亡くなったと言われています。60年以上を経た現在、この建物は基礎部分を残すのみとなっています。監房への収監は、各療養所長の判断で行われていました。これは、ハンセン病療養所の所長に所内の秩序維持を目的とする「懲戒検束権」という患者を処罰する権限が与えられていたからです。正式な裁判によるものではなく、収容された患者の人権は完全に無視されていました。