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LGBTQ+の扱われ方の歴史

このページでは、性的マイノリティの中でも同性愛の歴史について掘り下げていきます。

明治時代

明治時代になり、西欧の文化・知識が日本に入ってくると、同性愛に対する認識も変わってきました。
これまでの日本では同性愛、特に「男色」(なんしょく)と呼ばれる男性同士の関係に対して、比較的許容されていました。しかしキリスト教の影響が強かった当時の西欧では、同性愛は罪であるとみなされており、国によっては法律で罰せられるところもありました。 また、19世紀後半に西欧で発展した「性科学」では、同性愛者は病人であり、犯罪者ではないとして扱ったことで、異常な存在という認識も広まりました。
これらの認識が日本に浸透することで、「同性愛は悪である」というイメージが主流になってしまいました。

戦後

昭和後期(戦後)になると、同性愛に対する認識が変わり始めました。
1950年代には、ゲイの男性が接客を行う「ゲイバー」ゲイの方向けの施設が集まっている「ゲイタウン」が形成され始めました。また1960年代始めには、レズビアン・バーやそこで従業員として働いている男装の女性が注目されました。
1971年には、自身が同性愛者であることを明かした東郷健が選挙に立候補しました。東郷は性的マイノリティに対する差別や偏見をなくすことを主張しており、LGBTQ+の権利や社会的な地位を社会に認識してもらうのに貢献しました

平成

昭和の最後~平成初期の1980~1990年代にはHIVウイルスとそれに伴うエイズが流行したことも影響して、人々の間に「ホモファビア」(同性愛嫌悪)と呼ばれる風潮が見受けられました。
そのような中で同性愛者たちは、差別・偏見があることに抗議をしたり同性愛者のコニュニティー同士で情報交換や連携を取ったりするなど、社会に対して行動を取るようになっていきました。
当事者たちの活動が広がる中で同性愛を巡る現状が大きく転換したのは、東京都が運営する「府中青年の家」という宿泊施設で起こった事件によるものです。
同施設を利用していた同性愛者グループ「動くゲイとレズビアンの会」(アカー)が、他の宿泊客や施設の所長などから不当に差別を受けたとして、1991年2月に東京都を訴えました。 結果は1994年3月に動くゲイとレズビアンの会が完全勝訴しましたが、東京都は不服として同年4月に東京高等裁判所に控訴をしました。しかしグループの主張に明確な反論を返せず、1997年9月に「行政当局は同性愛者に対しても権利や利益を十分に擁護する責務がある」という内容の判決がされ、動くゲイとレズビアンの会が勝訴しました。
これは「国や政府、地方公共団体などは同性愛者の権益を守る責任がある」ということであり、同性愛者の権利を認めたという点で、この一連の判決は社会に衝撃をもたらしました。しかし当時は性同一性障害(性別不合)に関する取り決めを除き、同性愛などをはじめとする性的マイノリティの方への政策はあまり進みませんでした

2010年代

2010年代になると、「日本のLGBTQ+に関する現状」の法整備・同性婚の項目で述べたように政府や省庁の政策が進んでいきました
また、社会的にも同性婚などの性的マイノリティの方への理解が進み、現在の風潮に近づいていきました

ここまで、日本のLGBTQ+の歴史についてみてきました。
時代によって人々の認識や社会の常識は変わるため、その時代を生きていた当事者の気持ちや困難、性的マイノリティではない人の考え方などを理解・想像することは簡単にできることではないと思います。 しかし、過去に起こった出来事や人々の様子を知り、LGBTQ+について自分なりに考えることは、LGBTQ+が一般的にしられるようになった現代で必要なことです。これまでLGBTQ+について考えたことが無かった人も、このサイトを見て自分なりに考えてくれたら幸いです。

参考文献

OTEMON VIEW
改めて考えるLGBTQ+。女性同士の親密な関係からみる歴史とその背景
2025.8.31閲覧

株式会社IRIS
日本のLGBTの歴史を時系列で紹介!
2025.8.31閲覧

g-lad xx
ゲイタウン
2025.8.31閲覧

諏訪の森法律事務所
「府中青年の家」裁判 - 特集-
2025.8.31閲覧

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