間違い

本来は正しい情報が間違った文脈などで利用されているもの。事実を用いて読者に誤った印象を持たせようとするニュースなどが分類される項目です。
事実を根拠として用いている、という所では「ミスリーディング」など他の項目と類似していると思える点もありますが、この項目の特徴的な点としてほかの項目に比べて、より作為的に、著者の意見に沿うように読者の印象を操作することを目的としている場合が存在します。

日本における事例

現代日本では、「切り抜き報道」が非難される光景を度々目にします。切り抜き報道という単語は正式な単語ではないですが、主に発言や発表の一部だけを切り取り前後の文脈を伝えず、誤解を与えるような報道のことを指します。当然、報道する際に発言などの内容を省略し、分かり易く、また短く編集することは当たり前であり、重要なことです。しかし時に、編集することによって作為的な印象操作を引き起こしてしまう可能性もあります。

< 会見終了後の些細な会話をあたかも重要な問題であるよう編集し印象を操作した事例 >

 2019年に、「桜を見る会」問題が話題になったのは記憶に新しいところです。問題の内容は主に、「桜を見る会」という各界で功績のあった人を招待する花見行事に関する費用や公文書の扱いが曖昧だというもの。これに対しメディアを中心に国民から避難が集まり、対応のため会見などが度々開かれました。今回、事例として取り上げるものは、その内の一つ、12月に開かれた、自民党の当時の参院幹事長、世耕弘成氏が出席していた会見。そしてそれを取り上げた、テレビ朝日の報道ステーションという番組です。
 番組内では、この会見の様子がVTRを通して紹介されました。内容は、世耕氏が問題についての質問に対して、「総理が説明したから、良いお年を」ととれる発言をしたというもの。これに対し番組内のコメンテーターは問題を年明け以降に後回ししたと捉え、非難の声を上げました。実際、このVTRを見る限り、世耕氏本人の口から「説明した」「良いお年を」と続けて述べられているように見え、「良いお年を」と述べている時に関しては飲み物を片手に苦笑いしながら答えているため、世耕氏、果てには自民党がこの問題に危機感を持っておらず真面目に向き合う気がない、とも見えてしまいます。

記者会見
記者会見イメージ /“PIXADAY”より引用
 しかし、この報道に対して、世耕氏がTwitterにて異議を唱えました。そもそも「総理は十分説明した」というコメントと「良いお年を」と言ったことはまるで別の質問の流れで回答したもの。さらに、「良いお年を」に関しては会見終了後に述べられたものです。世耕氏は、会見としての回答ではなく一般的な会話や挨拶として述べたものが、「桜を見る会」と絡められ問題を年越しさせようとしているかのような報道を批判しています。「どちらが悪い」などは簡単に決められるものではないですが、少なくとも報道ステーションが悪意ある切り抜きにより視聴者の印象を操作しようとしたことは事実です。
 普段私たちは、当たり前のようにそれが真実であると信じ込んでテレビのニュース、そのVTRを見ています。インターネット上でも、コメンテーターなどの出演者の発言に疑問を持ち意見を書き込む人は度々見かけますが、VTR自体に疑問を投げかける人はあまり見かけないよう思えます。そもそも、出演者の意見を批判する人々の意見もVTRの内容を根拠として用いている場合が殆どです。それも当然の事であり、なぜならVTR内の映像は現実を撮影されたものであるならばそれは「事実」に他ならず、故にこれを根拠とするのに何の疑いも起こしようがありません。しかし、映像は事実であれど、「VTR」は編集が可能です。少なくとも、切り取られた事実に意見を述べる意思があるならば、必ず編集される前の映像をも見る必要があります。

海外における事例

今回扱う事例に関しては、フェイクニュースとするには少し遠いと考えます。一般的に当たり前のことであり、また被害を引き起こす原因となっている訳でもありません。しかし、それが当たり前と思っている現状、そして十分な報道が行われていないことを問題視して行動している人がいます。そして、フェイクニュースには少し遠くても、ニュースで報道されていない部分、ニュースの裏側にも目を向け考えなければいけないことは、「間違い」の項目と共通するものです。

< 途上国の紛争などに対してのイメージが足る程の報道がされていない事例 >

 例えば、現在日本で数十人が死傷する事件が起これば、大手報道各社はこぞってそのニュースを報道するでしょう。その事件は被害にあった人々の人生に作用する重大なものであり、被害者の心境や加害者のその後を伝えることがメディアの役割であるため、当然報道することは何も間違っておらず寧ろ誇って然るべき行為です。しかし、その報道の裏で、世界で何倍もの人々が紛争などで苦しんでいることも忘れてはならないことであり、これもまた報道されるべき、という意見も至極当然の事でしょう。
 ところが現在先進国では、紛争における現状のイメージが正確に伝わっていない傾向があります。実際、日本やアメリカなど、先進国におけるマスメディアでは発展途上の地域の話題が取り扱われることは少しはあれど数は少ないです。大手検索サイトで検索しても簡単に見つけることが出来ません。中学校高校における歴史の教科書でも今の社会の形成に多くの貢献をしたヨーロッパやアジアなどの紛争においては大々的に取り上げられても、アフリカ地域などの内乱はコラム程度の長さに収まっている場合も多いです。それほどまでに、先進国における発展途上国の紛争のイメージは小さいものです。しかし、現在の紛争の状況はそんなイメージとは裏腹に、重大な被害が広がっています。

紛争
紛争イメージ /“PIXADAY”より引用
 では、なぜこんなにもイメージと現実の乖離が起きているのでしょうか。これに関して、大阪大学准教授、ヴァージル・ホーキンス氏がいくつかの理由を挙げています。一つは、親近感を持ちにくいこと。人種の違い、というものも含めて多くの違いがあり、特に大きな違いとして、日々公共機関を利用し電子機器を扱う先進国の人々にとっては、同じ先進国の列車テロの被害はイメージしやすくとも途上国の村が襲撃された事件はイメージがつきにくくなっています。そして二つ目の理由は、自国中心主義の報道です。主に問題視される点、そして改善できる点はこちらの理由で、例えば自国民が巻き込まれた途上国の紛争に関してのニュースでは、現地の国民数万人の怪我よりも数十人の自国民の被害の方がずっと多く取り上げられます。当然自国民の状況は残りの国民にとって重要なことであり、被害にあった自国民の知人に関しては最重要の情報であるため、それを報道することはまるで誤っていません。しかし、事実の一部を取り出して報道を行っていることは、一歩間違えればフェイクニュース、「間違い」となってしまう可能性もあります。もちろん報道でこれ以上の情報を伝えようとするとほかの必要な情報が埋もれてしまう可能性もあり、メディアにこれ以上を望むことも酷でしょう。よって、せめて情報を受け取る側だけでもニュースで語られない現状を調べ知っておくことが重要です。

まとめ

 

報道されている事柄を根拠とされている事実を深く確認もせず事実と断定するのは、あまりにも早計と言えます。「日本における事例」の様に、明らかに事実であると見えるような根拠が用いられていても、実際にはそれが手が加えられた作為的なVTRであるということも多くあります。また、情報の開示側に悪意がなくとも「海外における事例」の様に伝わるべきであるにも関わらず報道の手が届いていない事実は多くあります。現在報道されている意見は全ての事実のほんの一部であり、その裏に数多の事実が隠されていることも少なくないのです。そのため、与えられた情報を鵜呑みにすることなく、まずは情報の全体像を調べ考えることが重要です。

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