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米の歴史


昔、日本にはお米はありませんでした。
日本に伝来したのは、縄文時代の終期頃だったと言われています。かつては弥生時代に伝来されてきたと
いわれきていた稲でしたが、1992年に縄文時代後期のものとされる稲籾の圧痕がついた土器が南溝手遺跡(岡山県)から
発見されます。
長江下流部から直接九州に伝わったと言われる説、中国南部から沖縄に入り琉球列島を北上して南九州に伝わったとする説など
様々な説がありますが、稲はいろんなルートから日本に伝来してきたと考えられています。
下記写真は赤米と言われるお米です。縄文時代に日本に最初に伝わった稲と考えられていて、野生稲の種子の多くが赤褐色であることから赤米と呼ばれています。江戸時代以降に品種改良がさかんになるまで、赤米は各地で栽培されていたと言われています。生命力がとても強く、荒れた土地で肥料や農薬などを与えなくても丈夫に育つことができるため、鉢1つに土と水さえあれば、ベランダで育てることが可能なほど、簡単に育てられるそうです。ポリフェノール、たんぱく質、カルシウム、マグネシウムなど、高い栄養価もあるため、赤米だけで食べるのではなく、白米に少し赤米を足して食べるととてもおいしく食べることができます。
また、下記のように赤米単体で食べてみるのも縄文時代を少し感じれるかもしれません。よろしければご体験ください。

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  (2023年10月27日 チームメンバーが撮影)

お米ができるまで



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種まき
種をそのまままくのではなく、水に浸け、芽出しをしていく過程です。



苗を育てる
芽が出たら苗箱という箱に土をひいて 種をまいて、温かいビニールハウスで苗作りが
始まる様子です。芽が1cmぐらいまで成長させたら
ビニールハウスに移し、温度管理に気を付けながら
ビニールを時々開けて日光に当てながら少しずつ外の
空気に慣らしていくのがポイントだそうです。
約10センチぐらい長さになるまでビニールハウスで育てるそうです。





田植え
種を撒いてから約1ケ月ほど経つと、12〜15cmぐらいに苗が成長していきます。
この苗を田んぼに移植する作業が田植えになります。
昔は田んぼに縄を張って、それに沿って苗を植えていました。
現在は、田植え機などで苗を植えている農家の方が多いです。
手で植える場合、苗を3〜4本取り、苗をつまむように持ちます。
一株に3~4本植える理由は、一つの株に 30~40本もの稲ができるそうです。





田んぼの管理
減農薬・減化学肥料でお米を作っているため、
山や川はもちろん、追肥をし、ミネラルをたくさん吸って、すくすくと育っていきます。
夏の暑いでの草取りは大変ですが、田んぼを管理する上では重要な仕事と聞きました。





稲刈りまでもう少し
稲に穂が実り、重みでだんだん垂れ下がってきています。
収穫するにはもう少し、稲穂の色が変わるまでしっかり管理していきます。





稲刈り・収穫
稲穂が垂れ下がってくると、収穫のサインになっていきます。
収穫時期は晴れた日に行われます。
稲を刈る5~10日前に田んぼの水を落とします。
現在はコンバインで稲を収穫されるのが主流になっておりますが、
昔は鎌で稲刈りを行っていました。
刈った後はゆっくり乾燥させていきます。



たこまいらいふ萩原農場合同会社の萩原様にご協力いただき、
米作りの写真は全ていただきました。

まとめ


日本では海外の文化を取り入れ成長してきました。お米も海外から伝来されてきたものです。
しかし、現代社会ではお米を食べる方が減ってきていて、日本人が食べる食の変化が起こっています。
地域創生を行うために僕たちは、地域の野菜やお米をたくさんの方に知ってもらうこと、またその食材を使った料理などを食べに
県外や海外からたくさんの方に来てもらうことは地域の活性化に繋がるのでははないか
と考え、農業の歴史をまとめてみました。
また、若い方にも農業をやってもらえるように機械やビニールハウスなどを貸し出せる制度や、支度金制度、またSNS等で農業の魅力を
伝える宣伝活動が必要がもっと必要だと考えました。
農業体験や、農業の様子をテレビで配信することなど、農業を身近で感じてもらえるように、時代に合わせて農業も各地域から
発信していけたら活性化につながるのではないかと思いました。






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